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2017年2月27日月曜日

日本文化のユニークさ8項目


これまでに見てきた日本の長所11項目は、日本を訪れたり、住んだりしている多くの外国人の感想などをもとにして、その最大公約数的なものを整理したものである。つまり現代の日本の社会や文化について、世界の人々がどんな風に思っているかをまとめたものである。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

では、このような日本社会の長所は、どこから生まれてくるのだろうか。次に示すような日本社会や文化の、歴史的、地理的な背景から出てくる独自性があって、それが現代の日本社会の様々な特徴を生み出しているのではないか。以下の章では、これら「日本文化のユニークさ8項目」にそって論じていくことになる。

(1)狩猟・採集・漁撈を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)文化を父性的な性格の強い文化と母性的な性格の強い文化とに分けるなら、日本は縄文時代から現代にいたるまでほぼ母性原理が優位にたつ社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

(6)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(7)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。


 

11項目の長所を具体的に見る(5)

 現代の日本社会や文化の長所と思われるものを、これまでそれぞれかんたんに触れた。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

ただ10)については触れていなかったので今回取り上げたい。11)についてはかんたんな補足である。

まずは、10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性

後半「外来文化への柔軟性」については、これまで多くの日本人論や日本文化論で指摘されきた。たとえば新しいところでは、『なんとなく、日本人―世界に通用する強さの秘密 (PHP新書)』でも触れられている。日本人の根源的な強さは、絶え間なくいろいろな文化を外部から取り入れ、日本的なものに変えて、自家薬籠中の物にしてきたことにあるというのだ。有史以来の絶えざる日本化、自由に取り入れて日本風に変えていくという持続性と変容性の両立こそ、日本人と日本文化の特徴なのだという。

外来文化を自由に受け入れながら、日本古来の伝統や感性を失わず、日本人特有の感性に合わせて日本化してしまう。伝統と現代が共存しうるのも、そういう背景と関係しているかもしれない。

ここからは、11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

にも関係する。おそらくマンガやアニメが世界的に流行する背景にも、上の本の著者がいう日本人の強みが直接・間接に働いていることは間違いないだろう。その点を直接に論じている本もある。『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命』は、次のように指摘する。

「1970年代や1980年代、日本が世界的に認められるようになる中で、活躍中の前衛的なアーティストたちはアメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアの諸文化から気に入ったものだけを習得し、独創的な作品を作り出した。ただし、彼らアーティストの作品は、ものの見方、視覚的アイコン、物語上の前提、そして空想で構成された文化的基盤の核心部分を共有する、自国の列島に住む観衆だけに向けられていた。徳川時代と同じように、日本は熱心に他国の文化を研究しながら、国内の観衆だけを相手に、クリエイティブな表現を磨いていたのだ。」

外国から習得したものを伝統と融合させながら、文化を共有する日本人だけにむけて表現を熟成していった結果、アメリカの若者にとって新鮮に感じられるポップカルチャーが出現したというわけだ。それが今や硬直ぎみのアメリカのポップカルチャーの代替物になろうとしているというのだ。

ではなぜ、日本では、文化の混ぜ合わせのような状態からクールなポップカルチャーが生まれてくるのだろうか。日本でとくにそのようなことが起る理由については、この本では触れていない。

日本には、異質な文化のパーツを自分の社会に平気で取り入れられる「混合文化社会」であり、原則にこだわらない融通無碍を特色とするという文化的な背景があり、それが強みになっているかもしれない。今、地球上の多くの国々は、キリスト教やイスラム教という一神教を文化の根っこにもっている。あるいは、ヒンドゥー教のような多神教でも、はっきりしたタブーがあったりする。そうするとどうしてもその教えの原則に合わない文化はたとえ無意識にでも排除してしまう傾向がある。日本の文化にはそれがないから、自分が気に入ったものを自由に取り入れて、そこから独創的なものを生み出す可能性がそなわっているのかもしれない。

また、日本に一神教がほとんど広まらなかったことと関係するが、そのためか現代の日本人の心の深層に、古代的なアニミズム的な心性がっかなり残っている。動物はもちろん、山や森や川にさえ魂を感じる世界観が、私たちの心の中に残っている。宮崎アニメは、かなり自覚的にそういう世界観を表現するが、日本人が作り出す、他のアニメやマンガにも多かれ少なかれ、そのような世界観が反映されていないだろうか。そして、それが日本のポップカルチャーが、世界中でクールと受けとめられるひとつの理由になっていないだろうか。

一神教的な文化にしばられない自由さ、一神教的なものに押し殺されない、古代的な生命観の魅力、これまで世界の主流であった文化にない何か新しいもの(同時に古いもの)、それがが混ざり合ったクールな魅力を発しているのではないだろうか。

2017年2月23日木曜日

11項目の長所を具体的に見る(4)

日本の長所を11項目にまとめて検討しているが、最後は次のようなものであった。

11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

アニメやマンガ、ゲームを中心に日本のポップカルチャーが世界に受け入れられているのは、よく知られた事実だ。これらを通して日本の文化そのものへ関心を広げていく若者も多いという。日本文化のユニークさが、それを背景としてユニークなポップカルチャーを生み出し、それらが全体として世界を魅了しているのだ。マンガやアニメに惹かれるだけではなく、それらを生み出す、日本という国の文化や人々の生き方に引き付けられ、共感を感じる。その全体が、日本のポップカルチャーの魅力となり、発信力となっているのだ。では、日本の文化のどのような面がポップカルチャーに反映し、魅力と感じられ、憧れられているのか。

日本のマンガ・アニメの発信力の理由を以下のような五つの点に注目して整理してみたい。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが豊かな想像力を刺激し、作品に反映する。

②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の独自性。

③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。

④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想・表現と相対主義的な価値観。

⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。

これら5項目を詳しく検討するのは別の章に譲るとして、ここでは「初音ミク」現象に触れながら、上の5項目がいかに日本のポップカルチャーの特徴をなしているかをかんたんに見ておきたい。

まず初音ミク現象について詳しい情報については、下の動画がおすすめ。part6まであるが、ぜひ追って見てほしい。

【HD】初音ミクの世界(World of HATSUNE MIKU) part1

初音ミクは、もともと音楽のソフトとして発売されたが、そのキャラクターをこれほど反響があるとは発売元の会社も考えてもいなかったようだ。しかしキャラクターはイラストや動画として二次創作され、予想もしなかった盛り上がりを見せていく。多くの初音ミクのファンが、音楽ソフトに添えられたキャラクターに命を吹き込んでいく、文字通りanimateしていくプロセスがすごい。ファン一人ひとりの並々ならぬ情熱が、ソフトによる固有の声をもったヴァーチャルアイドルを、あたかも実在するかのように作りあげ、そのアイドルのライブに熱狂し始めたのだ。そして日本のポップカルチャーに関心を持つ世界の若者たちが、日本で始まったこの現象に注目し、ライブの歌やダンスの質の高さに驚き、もっと詳しい情報を得たい、自分たちもライブに参加したいと待ち焦がれている。

日本のポップカルチャーの発信力の秘密という観点から、この現象を考えてみよう。

まさに①のアニミズム的なものへの親和性が、私たちの心に流れているからこそ、ファンの一人ひとりの力を結集してヴァーチャルなものに命を吹き込んでいこうとする動きが、こんなにも盛り上がるのではないか。

そしてヴァーチャルアイドルが、こんなにもファンの心をつかむひとつの理由が、動きがあれほどリアルでありながら、どこか現実ばなれした純粋無垢なかわいらしさの象徴のような表情をしていることにあるのではないか(②)。あれが、もっと生々しい現実的な顔をしていたら、これほどの盛り上がりはなかったかもしれない。

初音ミクらは、音楽ソフトにで作られた音声で自由に歌い、信じられないくらい上手にダンスをする「お人形さん」なのだが、もはや子どもではない若者たちがそれに熱狂することに何の違和感も感じない(②、③)。

おそらくキリスト教文化の本流は、こうしたすべてのことに本来抵抗感をもつので、ヴァーチャルアイドルに熱狂するというような動きは、その文化の内側からは生れて来にくいだろう(④)。

さらに日本語という共通の言語をもった、巨大で知的な庶民が、コンピューターテクノロジーを駆使して、協力しながら創作していったからこそ、ヴァーチャルアイドルのクオリティーの高いパフォーマンスが実現したのだ(⑤)。

こうして考えてみると、日本のポップカルチャーの発信力の秘密のすべてが、初音ミク現象の背後ではたらいているといえそうだ。


《関連図書》
★『ユリイカ2008年12月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使
★『できる初音ミク&鏡音リン・レン VOCALOID2 & Windows Vista/XP 対応 (できるシリーズ)

 

11項目の長所を具体的に見る(3)

日本の長所として暫定的にまとめた11項目のうち、11)を除く残りの4項目

7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)外来文化への柔軟性

については、今あえて説明を加える必要はないだろう。私としては、それぞれの項目について日本人の独りよがりではないといえるような、ある程度客観的なデータによる裏づけが欲しいと思っている。安全性などは犯罪率のデータを挙げれば歴然としているが、他はなかなか難しい。そこで外国人などによる感想などを多く集めることが、ある程度の裏づけとはなるだろう。

8)環境保全意識の高さ、については各国を比較した意識調査の結果があったと思う。見つけたら紹介したい。9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと、についてはミシュラン東京なども一つの裏づけだし、最近の和食ブームもその表れだ。これについては、カテゴリー・世界に広がる日本食にもある程度集めてある。今後も積極的に日本食関連の記事を掲載していきたい。

さて何回か取り上げてきた、『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』から、「日本の長所」全体にかかわる素晴らしい感想を紹介したい。滞在16年のトルコ人男性である。

「日本に住んで感じる日本の良さとして、いつも思うことがあります。ひとつは、この国には現代の人が欲しいと思っている、快適さのすべてが整っていることです。それは清潔、安全、マナー、便利さなどであり、近代的な住みやすい国ですね。その一方で日本は伝統を重んじ、お盆や正月などの昔からの行事を継続していることには感動しました。国の歴史、伝統的芸術や芸能、風習など、日本独特の文化が文化財としてだけでなく、人々の手によりよく保護保存されています。」

「しかし今の日本人は、日本という恵まれた国にいるということを、あまり自覚していないように思えます。‥‥敗戦後にゼロの状況から出発し、ここまで発展した日本人の資質も含め、世界から見れば稀なほど、すばらしい国と素晴らしい国民です。これらを自覚すれば、自然に感謝の気持がわいてくるのはないでしょうか。」

「日本人は、現在とてもあせっているように見えます。礼儀正しく、謙虚で静か、知的で多くの好奇心を持ち、外国人に対しても公平というとことが、ほかの国とは違いうと感じます。もっと自信を持ち、このような気持を大事にしていれば、大きく変らなくともいいのでは。なぜなら日本人は、何かあれば持ち前の良さを発揮し、みんなで危機を乗り越える力がありますからね。」

日本が、世界の国々の中でも、このように恵まれた国などだということを、何よりも今の子どもたちに知ってもらいたい。そして自信と誇りをもってもらいたいと切に思う。

最後に残った、11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

については項を改めて論じたい。

11項目の長所を具体的に見る(2)

11項目でまとめた「日本の長所」、今回は次の二つの項目についていくつか外国人の発言を挙げる。

5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ

「日本のよい点は、協調性があって組織力があってどちらかというといろいろな約束事というものを守ろう、規律をなるべく重んじようという風潮があるので、がっかりさせられることが少ない社会だとおもいます。よその国では、本当の実力が8なのに10だと見せる傾向がある。日本は本当に実力が8なのに7・5ぐらいに見せる傾向があるので、奥ゆかしいと思います」(在日韓国人の男性、『ハーフはなぜ才能を発揮するのか (PHP新書)』より)

「日本の好きな点は、日本人の態度、謙虚さ、親切さです。日本人は他人に対して思いやりが深いと思います。よその人がどのように考えているかを察するような行動が多いし、他人を傷つけないという思いやりが非常に強いと思います」(日米のハーフの男性、同上)

「職場の日本人スタッフは『どうしてこんなことが分からないの!』と言わず、見返りを求めることもなく、分かるまで親切に教えて下さいます。
 例えば銀行などの窓口で、日本では、外見で人を差別することなく、心地よい対応をしてくれます。チリでは、外見が悪いとひどい扱いを受けるのです。
 希望を持って頑張れば必ず報われる国で、『日本人に似てきた』と言われるようになった私を、母もきっと喜んでくれると思います」(チリ人の女性、『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』より)

「次に日本と私の国が違うと感じ、素晴らしいと感じている点は、『公共サービスを受けるよきに公平なこと』です。具体的に言うと、例えば市役所に行って、何か手続きをする時に、職員の中に個人的に知っている人がいなくても、または、便宜を図ってもらうために特別な贈り物や賄賂を払わなくても、私は他の日本人たちと同様に、公平に扱ってもらえます。たとえ私が外国人でも、窓口ではちゃんと対応してもらえるし、ほうっておかれたり、わざと時間をかけて後回しにされてしまうこともありません。」(インド人女性、夫のレストラン手伝い、同上)

「日本人はとにかく親切でやさしくて、私は大好きです。10年近くこの親切さに慣れ親しんできたので、もう私は韓国には住めないかもしれません。韓国に帰るとイライラしてしまいます。例えば、日本のサービス業。デパートなどに行くと申し訳ないくらい店員さんが親切です。」(韓国人女性、主婦、同上)

中国の旅行者も、日本の店員の応対のていねいさ、親切さは驚きらしく、日本で女性店員が親切に、ていねいに応対してくれたとしても、それはあなたに気があるからではないから、くれぐれも誤解のないようにと注意を促すブログもあるほどである。

2017年2月22日水曜日

11項目の長所を具体的に見る(1)

日本人にとって当たり前と思われていることが、実は世界にとって当たり前ではない。それでいて日本人は、そのことの重要性をあまり気づいていない。しかし今、日本人自身が自分たちの文化やそのユニークさとその意味をもっと自覚すべきときに来ていると思う。日本の社会や文化、そして日本人の人間関係に含まれる見えない長所、日本人が多かれ少なかれもっている道徳心、好奇心、改善や創意工夫の意識、仕上げに凝る、仲間を助けるなどの姿勢などを、日本人はしっかりと自覚し、それを守っていくことがますます大切になっている。

それらは、日本人にとって当たり前すぎることなので、これまではきちんと分析して対象化する必要など感じなかったかもしれない。しかし、自分たちの文化や伝統にどのような意味と価値があるのかを知らずにいると、グローバリズムという名のもとに国外から押し寄せてくる変化の波によって、それらがかんたんに失われてしまい、取り返しのつかないことになる。だからこそ、これからはそれらがどれほど「価値ある資産」としてプラスの意味をもっているのかを、分析し、可視化し、体系化することがきわめて重要となる。分析され、その資産としての意味が自覚化されることで、その長所を守り、さらに活かし、伸展させていく方法も見えてくるからだ。

私は、これまでこのブログで、不十分ながらそのきっかけとなるような試みをしてきた。たとえば日本の長所として次のような11項目を挙げて見た。これらは、日本を訪れたり、住んだりしている多くの外国人の感想などをもとにして、その最大公約数的なものを整理したものである。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力
今回は、このうち1)から4)の項目を具体例を示しながら見てみよう。

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1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 

日本人が、礼儀正しく、またその行動に規律や秩序があることは、多くの外国人によって繰り返し指摘されており、いまさら取り上げる必要もないほどだ。ここでは二つだけ関連する記事を取り上げる。
◆米エクスペディアホールディングスが世界各国のホテルマネージャーを対象に行った国別観光客のイメージ調査において、日本人が去年まで3年連続で『世界最良の旅行客』に選べれている。

日本人観光客は「礼儀正しい」、「行儀の良さ」、「部屋をきれいに使う」、「騒がしくない」、「不平不満が少ない」の5項目において一位を獲得しての受賞であったが、『日本人のマナー』は世界各国で定評があるようだ。今年も同様の調査が行なわれて発表されたのか、調べてみたが、見つからなかった。ちなみに、2009年発表のものについての記事をリンクしておく。
日本人が3年連続で「世界最良の観光客」に――海外ホテル予約のエクスペディアが発表・2009年7月13日

あるアメリカ将軍の驚き
『世界中にアメリカ軍の基地があるけれども、朝八時半に従業員が全員来る基地は日本だけです。つまり遅刻がない。それは日本だけです。五時半に帰ったあと、備品が一個もなくならない基地も日本だけです。』
日本人の人間観・その長所と短所(2)
性善説に立って人を信用することを前提とした社会、基本的に人を信用して行動する関係。これが日本社会の秩序や治安のよさに関連していると思われる。

3)治安のよさ、犯罪率の低さ
「これまでに、パリ、ベルリン、ロンドンにも住んだことはありますが、東京の安全性は特別です。通常、大都市で生活するときは緊張が伴います。街を歩くとき、基本的には行き交う人々と視線を合わせないほうがいいと言われています。しかし、東京では初めからそうした緊張は感じませんでした。新宿や渋谷など、いろいろな人々が行き交う繁華街でさえも、大都市で安心して生活でき――そうした素晴らしい気持は、東京でしか感じられません。」(フランス人女性『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』より)

「イギリス人の父がいっていたんですが、父が日本に来た理由というのが、最初は転勤であったにもかかわらず、仕事まで辞めて日本に移住してしまったのは、安心して暮らせるからということだったんです。‥‥父はロンドン出身で、僕も幼い頃、そこに暮らしていたが、治安の悪い場所だったんです。母が毎日、買い物に行くと誰かにレイプされるんじゃないか、ひったくりに遭うんじゃないかとくことを、心配しなくてゃいけないところだった。それが日本に来たら、ビーチに行ってもそのまま浜辺に荷物を置いていられるとか、ロッカーの鍵をしまなくても盗まれないとか、電車に乗っていてもひったくりに遭わないとか。父は、家族を育てるのであれば、そういう心配がないところがいいと思い、20年以上も日本に居住することになってしまったわけです。僕も安心して暮らせるというのが好きですね。」(日本人母とのハーフの青年『ハーフはなぜ才能を発揮するのか (PHP新書)』より)

なお、日本はかつては安全だったかもしれないが、最近は犯罪率も増加しているというのは、間違った印象に過ぎないので、以下をご確認いただきたい。日本の犯罪認知件数・検挙件数等

 4)「勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること」に関連するもの。
日本人のここが好き
「国民全員が国の現実に責任を負っているのだ 真面目で勤勉、そして「質」をとても大事にすると思います 皆が一体となって一つの事に立ち向かい、成功させていくことが、日本人が自分の仕事に責任感を持ち、夢中になっているかということ」
日本人の仕事への責任感は世界一
 「どれほど日本人が自分の仕事に責任感を持ち、夢中になっているかということ。日本人はそのことに誇りを持って欲しい。世界的に素晴らしい現象なのだから。自分の仕事に誇りと責任を持つという点で、世界一なのだから。その素晴らしさを意識してほしい、ということであった。」
平凡な日本人のレベルの高さ

引き続き、『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』から、日本人の仕事への態度を評価する事例を紹介しよう。

「まず、第一に日本人の仕事への熱心さです。これは、私の家族がインド料理のレストランをやっていて、日本の人たちと一緒に働いているので特に感じることです。もちろん、私の家族たちも一生懸命働いています。でも、それは私たちのお店だからです。日本人たちは、雇われて仕事として働いているにもかかわらず、同じように一生懸命働いてくれます。夫は日本人の仕事に対する誠実さや真面目さを、とても信頼しています。店でアルバイトの人を雇う時には、知り合いのインド人より、知らない日本人の方がいいと言っています。日本人の真地面な仕事ぶりに関心し、ちゃんと働いてくれると信頼しているからです。」(インド人女性、夫のレストラン手伝い、滞在4年)

さらに、店の改装をした時にも、インドとはまった違っていて驚いたという。夫が現場に行ったのは、改装開始時と終了時の二回だけ。それでも約束の期日に完璧に終了していた。インドだったら、工事中に夫がずっと監視していないと、進行が極端に遅くなってしまう。日本では、こういう仕事でも、安心してすっかり任せておけるのかと本当に驚いたというのだ。

「私が日本で特に素晴らしいといつも関心している様々なことは、すべて、この『日本人の仕事への誠実さ』によってもたらされているのだと気づきます。電車やバスが時間どおりにちゃんと来ることや、日本製のモノの品質が信頼できることや、店や通りがいつもきれに保たれていることなど、日本のいいところすべてに、共通して現れています。一人ひとりが、誰にも見られていなくても、自分のやるべきことをやろうと真面目に努力している。それが日本をここまで進歩させた、優れた国にしたのだと思います。」(同上)

もういくつか例を引こうと思っていたが、長くなったのでここで止めておこう。ここでは、こうした日本人の特徴がどこから出てくるかに、かんたんに触れておこう。その根底にあるのは、やはり日本人が異民族によって征服、支配された経験を持たなかったことだろう。それが日本を、階級に分断されな平等社会にした。一部のエリートによって動かされるのではない庶民中心の社会にした。だから庶民は、どんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持つことができる。自分の仕事に誇りや、情熱を持つことができる。奴隷は、そういう意識を持つことができない。日本のユニークさは、奴隷制を持たなかったことにも、ひとつの要因があると思う。

2017年2月21日火曜日

日本の長所を11項目にまとめる

日本企業は、「見えない資産」(インタンジブルス)の宝庫であるという(『「見えない資産」の大国・日本』)。しかし、日本企業の「見えない資産」は、日本社会や日本文化の「見えない資産」を基盤にして成り立っている。それを少しでも多くの人が自覚して、私たちの「資産」を失わず、さらに育てていくことがますます重要になっている。

私は海外に長期滞在したなどの体験はないが、インターネットや本などで触れるかぎりでも、日本の社会が全体としていかに多くの長所を持っているかがよくわかる。その長所と思われるものを、とりあえず列挙してみよう。

 1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

以上は、これらは、日本を訪れたり、住んだりしている多くの外国人の感想などをもとにして、その最大公約数的なものを整理したものである。今後、さらに検討するなかで、変更したり、項目を細分化したり、追加したりするなどしていくつもりである。各項目ごとに詳しく検討していくことも考えている。

自信過剰にも自己卑下にもならずに

少し前に『「見えない資産」の大国・日本』の書評でも触れたが、日本人や日本文化がもっている「目に見えない資産」をしっかりと自覚し、それを意識的に維持して、さらに伸ばしていくことが、これからますます大切になると思う。

最近、それが少しずつ自覚化されつつあるのは、日本人の意識調査などからも確かだろう。そのひとつの理由は、海外でのアニメ・マンガや日本文化全体への人気(クールジャパン現象)が、インターネットなどを通して知られるようになったことかも知れない。それでもまだ日本人は、自分たちの社会や文化を過少評価する傾向の方が強く、自分たちの優れたところに充分気づいていないような気がしてならない。

もちろん自信過剰になってはいけない。かといって自信「過少」になるものこまりものだ。自信過剰は、前向きのエネルギーになることもあるが、独善にもなる。自信「過少」は、謙虚な向上心にもなるが、マイナスの内向エネルギーにもなる。どちらも、客観的な姿と「自己像」との間にずれがあるので、内に多少とも不安を抱え込むことになる。

自信過剰にも自己卑下にも陥っていない集団や個人は、自分に自分を偽らないだけ安定感があって、地に足のついたエネルギーを発することができるのではないだろうか。

しかし、自分たちの「客観的な姿」をとらえることは、言葉でいうほどに簡単ではない。他国との統計的な比較データなどがあれば、それがいちばん良いのだろうが、そうしたデータは限られたものしかないだろう。とくに「見えない資産」といわれるものは、客観的な数字としてとらえにくい面がある。

そこで、私がとりあえず考えている方法は、限られたデータなども参照しながら、本やインターネット上で公表された、外国人の体験談などをできるだけたくさん集めて、分類し整理していくことである。まずは、参考にできる本やウェブサイトの一覧をつくって見る必要があるだろう。

例としてあげると本で代表的なものは、『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』や『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』があるだろう。またウェブ上には、外国人の生の声を聞けるサイトが数多くあり、こうしたものもできる限り参考にする必要があるだろう。

日本の長所を自覚し伸ばす

誰でも長所と短所がある。得意分野、不得意分野があり、得意科目、不得意科目がある。自分をもっと伸ばしたい、進歩させたいと思うとき、まずは短所克服を考えるか、長所伸展を考えるか、これがかなり重要なポイントだ。日本人は、短所克服型が多いような気がする。

しかし、やっていて楽しく、やる気が増すのは、長所伸展の方だろう。自分の得意科目を勉強するのは楽しい。楽しいからかんたんに憶えられるし、効果も上がる。そうすると、ますます成績もあがる。自信も出る。その自信とやる気と成功体験を活かしながら、不得意科目にも取り組んでいく。これが船井幸雄のいう「長所伸展の法則」だ。(『長所伸展の法則』など)
 
私は、「長所伸展の法則」を日本人とその文化や社会にも応用していくべきだと思う。まずは、日本の長所とは何かをしっかりと把握すること。その上で、それをしっかり守り、ますます伸ばしていくこと。日本人は、自己批判の心が強すぎて、自分たちの文化や社会を必要以上に低く、価値のないものとして評価する傾向があった。そして自分たちの社会の素晴らしい面に無自覚で、自信がなかった。

最近、この傾向が少しずつ変り始めたようだ。若者を中心に、日本の文化や伝統に誇りを持つ割合が増えてきたようだ。もちろんこれはよい傾向なのだが、では日本の文化や社会のどのようなところがどのようによいのかとなると、それほど明確には説明できていないと思う。

今、マンガ・アニメを中心とした日本のポップカルチャーが世界中に広まっているが、その人気の背景にあるものは何かについても、私たち日本人自身が、あまりはっきりとは分かっていないように思う。

日本の文化や社会の「長所」とは何なのか。それをはっきりと自覚した上で、それを守り、さらに伸ばしていく。このブログでは、そのためにも日本がなぜクールと受けとめられるのか、それを探求していきたいのだ。

2017年2月18日土曜日

日本文化のユニークさを自覚しなおす

◆『なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943) 』(齋藤孝)

1980年代以降、「勉強」がむしろ「生きる力」を阻害するものという愚かな誤解が横行した。実際は、生命力は、努力して学び、身につけた技によって養われる。どこかでこの時代の流れを変え、日本に「積極的な学ぶ構え」の大切さを復権したい――著者・齋藤孝は、そんな願いに20年突き動かされてきたという。これは、その熱や危機感が充分に伝わる、読み応えのある本だ。

日本人はなぜ学ばなくなったのか。それは「リスペクト」を失ったからだ。努力しなくなったのも、勉強しなくなったのも、社会が様々に崩れつつあるのも、根本は、知性教養や人格への敬意が失われたからではないか。彼は、大学の教授として学生に接しての様々な体験やいくつかのデータなどから、現在の若者の間に起っている変化を、深い洞察力とともにとらえている。

日本の良さが崩れつつある原因のひとつを彼は、多くの日本人が「自分たちがどのような自己形成をすべきかというモデルをすでに喪失している」ところに見る。戦後の日本の社会では、日本の社会や文化がもっていた良さをすなおに肯定したり、はっきりと語ったりすることが、悪いことのように見なされてきた。おかげで、日本を讃えたり、日本人であることに誇りを持つといったアイデンティティがつくりにくくなっていたのだ。

日本では、教育やマスコミが、自分たちの社会や文化を否定的にしか見れない情報をずっとたれ流してしたのだ。。それもあって、自分を自己形成する「核」すらも見失ってしまった。しかし、自分たちの文化を否定的に見てきたのは日本人だけで、今、世界中の人々が日本文化の素晴らしさに気づき、憧れをもっている。

それを知ることは、自分たちの文化を否定的にしか見れなくなっていた色眼鏡を一度はずし、もういちど客観的に日本文化の良さを見直すことにつながる。自分たちが守るべき大切な「核」が何であるかを再発見することにつながる。――最近、私はそのためにも、何が日本文化のユニークさなのか、色々な角度から調べていくことが大切だと思うようになりました。

日本発のアニメやマンガ、Jポップなどの何がクールと受けとめられているのか。そこに表現されている日本人の感性や世界観のどのようなところがクールだと評価されているのか。あるいは、日本を旅行したり、日本で生活したりした外国人たちが、日本の社会や文化のどのようなところに驚き、賞賛しているのか。それは、日本人が無自覚のうちにまだ維持している、日本の良さであり、私たちが守っていくべき大切な何かであろう。

無自覚に維持していたもの(もしかしたら失われつつあるもの)をはっきりと自覚化し、それをもっと磨きあげる。それが日本の社会全体に必要とされているし、個人の自己形成のモデルや「核」としてもはっきりと自覚化して再構築していく必要がある。

クールジャパンというテーマに、これほど関心がもたれる背後には、自分たちの社会や文化を否定的に見ることしか教えられてこなかった日本人が、自分たちの良さを再発見し、何を守り磨いていかなければならないのかを、必死で探し求める情熱が隠されているような気がする。

日本人の人間観・その長所と短所(3)

岸田秀が『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』という本の中で論じた日本人の人間観について、いちばん手厳しく批判したのは、それが言語化されていないということだ。

「‥‥日本人の人間観の致命的な欠陥は、言語化されていないという点です。日本列島で日本人だけで暮らしているぶんにはそれでもいいかもしれませんが、これからの日本人は、暗黙の共通前提に立っていない人たちと付き合わなければならないのですから、言語化されていない規範に頼っているのは致命的なのです。その規範それ自体がどれほど正しく立派なものであろうともです。」

日本人が、自分たちの暗黙の前提を言語化せずに来たのは、これまではそうする必要があまりなかったからだろう。長い鎖国の歴史や、四方を海に囲まれ、他文化の人々との深刻な軋轢を経験せずにすんでいたからだ。

これからはそうはいかないというのは確かだろう。ではどうすればいいのか。他文化の人間観と日本人の人間観をつき合わせて違いを確認し、それを言語化していくほかない。ただし、文化の違う生身の人間同士が、トラブルや紛争のなかで違いを確認するしかない、というわけではない。

なぜか。そのひとつの手がかりが、いま世界で巻き起こっているクール・ジャパン現象のなかにある。テレビだけでなくインターネットの普及もあり、これだけ世界に日本のマンガやアニメ、J-POP、小説などが受け入れられている。世界中の人々がそれらを楽しんでいる。その作品には自ずと日本人の人間観も反映されていて、そこがクールと受けとめられている部分もあるのではないか。

「ああ、海外でいま日本の文化がえらい人気だな」とちょっぴり自尊心をくすぐられて終わりにするのではなく、なぜそういう現象が起っているのか、日本の何がクールと感じられているのか、それをしっかりと分析していくことである。世界のこれだけ多くの人々が、日本のサブカルチャーやその他の文化に接するようになった。その膨大な接点を利用しない手はない。世界中の人々の眼を通し、彼らの眼に映った日本を分析することで、他文化との人間観の違いを明らかにしていくことは、有力な方法のひとつであるはずだ。

もちろん、日本に来て日本で生活した人々の観察を参考にするのも、もうひとつの有力な手段だ。何回か紹介した『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』や、『どーもアリガトだよ―在日外国人32人の“渡る日本はいい人ばかりだった”』も参考になるだろうし、インターネット(とくにYouTubeなど)で情報を発信している外国人もたくさんいる。

日本人の人間観・その長所と短所(2)

岸田秀が『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』という本の中で論じた、日本人が前提とする、言語化されていない人間観というのは、ほぼ間違いなくその通りであろう。そして、そうした人間観を前提として行動し、人間関係を作り、日本という社会を作っているのであろう。それは、このブログでも取り上げてきた、外国人が見た日本人の印象からも推測できるであろう。「日本人は穏やかで、非常に親切、かつお人よし。そのぶん騙されやすいともいえる。なぜあんなに簡単に人を信用してしまうのか、不思議だ」というのが、大方の外国人のほぼ共通の印象のようだ。

岸田秀は、こうした人間観のプラス面もひとつだけ取り上げている。それは、「一神教の文化のように、どちらが正しいかを徹底的に詰めないで、和の精神でごまかすほうが、あまり殺し合いにならなくてすむというメリット」だ。ヨーロッパの内戦、激しい宗教戦争などにくらべると、源平の合戦から、戦国時代、明治維新に至るまで、日本の内戦は桁外れに死者が少ないという。

しかし、メリットはそれだけではないだろう。岸田秀自身が近著(『官僚病から日本を救うために―岸田秀談話集』)でいう、「日本人は一神教の神をあまり信用しないが、欧米人は人間を信用しない。日本人が母子関係をモデルとして人とのポジティブな関係を結ぼうとするのに対して、人を信じない欧米人は、神を介することで人と人との関係を結ぼうとした。」と。

性善説に立って人を信用することを前提とした社会と、そうではない社会とで、どちらがうまく行くかは、自ずと明らかだろう。かつて紹介した『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』から少しだけ引こう。

中国から来て帰化した、日本滞在20年の女性の言葉。
「これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になります。」

同じ本から、あるアメリカ人教授の言葉。
「‥‥私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じる。」

日本人の人間観、基本的に人を信用して行動する関係、それこそが家族的な信頼関係を感じさせる背景だろう。詳しい説明は避けるが、殺人、強盗、強姦などの犯罪率は、世界の主要国のなかで日本がいちばん低い状態を保っている。これも、その背景に日本人の人間観があるのではないか。(続く)

日本人の人間観・その長所と短所(1)

◆『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』(岸田秀
 
まずこの本での岸田の議論を追ってみよう。 日本人は、ある種の人間観を前提として行動しているが、その前提についてはほとんど無自覚だというのだ。それは一言でいえば「渡る世間に鬼はなし」という性善説。人間は、本来善良でやさしく、そして一人では生きることのできない弱い存在だから、互いにいたわり合い、助け合って生きていくしかない。中には裏切ったり悪いことをする人間もいるが、それはそうせざるを得ない事情があってのことで、根っから悪い人間はいない。だいたいこんな人間観を前提にして日本の社会や規範は成り立っているというのだ。

人間の誠意や真情を互いに信頼することで、社会の「和」や秩序が保たれる。自分のわがままを抑えることで、相手も譲ってくれ、そこに安定した「和」の関係ができるという性善説を前提として日本の社会はなりたっている。このような日本人の人間観の致命的な欠陥は、それが言語化されていないということ、言葉で確認できる形で日本人に意識化されていないということだ。

みんな仲良く「和」を保つ社会は、逆によそ者やはぐれ者、はみ出し者に対しては残酷な「いじめ」を行うことが多い。「和」といじめは、一体不可分なのだ。

さらに日本人の問題は、このような人間観を他国や他民族にも共有される普遍的なもとの信じ込んで、行動することだ。しかし、日本人のような性善説に立つ人間観はむしろ例外的で、世界の大部分はそういう前提に立っていないから、日本の他国への期待は裏切られることが多い。だから対立や紛争がたえない。しかもやっかいなことに自分たちが前提とする人間観に無自覚で、その人間観を言語化して意識することがないから、問題を議論によって解決することもできず、こじれるケースが多いというのだ。

岸田の説は、ざっとこんな感じで、日本人の性善説の人間観のマイナス面を意識的に強調しているように見える。このブログでは、外国人の目から見た日本人の良さとは何かを、クールジャパン現象という視点とからめて追いかけている。私は、岸田が指摘するように、日本人がかなり特異な人間観をもっているらしいことに賛成するが、その点こそが今、クールジャパンの一面として世界に評価されているのではないかと思う。

次回はその点をさぐってみたい。岸田がいう日本人の人間観のプラス面を考えてみたいのである。(続く)

日本の秘密「造り変える力」(3)

馬淵睦夫氏の『いま本当に伝えたい感動的な「日本」の力』に刺激され、氏のいう日本文化の「造り変える力」の源泉がどこにあるのかを探る気になった。このブログでは、日本文化のユニークさを8項目の視点から考え続けているが、結局、日本文化の「造り変える力」の大元もここにありそうな気がする。以下8項目に沿いながら「造り変える力」の源泉を追う。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

これらに関しては前回すでに書いたが、(1)に関して少し付け足しておきたい。現代日本人に縄文人の心性が地下水脈のようにして受け継がれている。その事実がどうして日本人の「造り変える力」に関係があるのか。

たとえばケータイにストラップをつけるのは、日本以外ではあまりない。海外では、ケータイは単なる機械だという。しかし日本人は、そこに自分の気持ちを入れる、命を与える。現代の若者はケータイにストラップをつけることを、ただそうしたいから、そうしないと何となく物足りないと感じるからやっているのだろう。しかし、そこに日本人の伝統的な心が働いている。

そういう傾向が、今すこしずつ復活している。ネイルアートも「痛車」も「初音ミク」もそういう傾向の表れかもしれない。ヴォーカロイド「初音ミク」とCGによるこだわりのコラボは、コンピューターのプログラムによってまさに命を吹き込む作業で、かつての職人の心、もっとさかのぼれば縄文人の心が、現代の最先端によみがえっているのかもしれない。

菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』で著者アン・アリスンも次のように言う。日本人はケータイに、ブランド、ファッション、アクセサリーとして多大な関心を払い、ストラップにも凝ったりする。そうしたナウい消費者アイテムにも、親しみ深いいのちを感じてしまうのが日本人のアニミズムだ。このように機械と生命と人間の境界があいまいで、それらが新たに自由に組み立て直されていく、日本のファンタジー世界の美学を著者は「テクノ-アニミズム」と呼ぶ。日本では、伝統的な精神性、霊性と、デジタル/バーチャル・メディアという現代が混合され、そこに新たな魅力が生み出されているのだ。

世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)』の基本コンセプトは、オタク文化と製造業の融合だったが、それを一言でいうならまさに「テクノ-アニミズム」ということになるだろう。かつての「たまごっち」というサイバー・ペットの世界的な流行も、日本的な「テクノ-アニミズム」が世界に受け入れられていく先駆けだったといえなくもない。

以上のいくつかの例が示しているのは、現代の最先端のテクノロジーと農耕文明以前の、人類の最古層の心性との、他国ではありえない驚くべき結びつきである。その意外な組み合わせから、世界から見て思いもよらぬアイディアや製品が生まれてくるのだ。農耕文明以前の文化の記憶は、ユーラシア大陸ではほとんど失われてしまっている。ヨーロッパも中国も、お隣の朝鮮半島でさえその例外ではない。だからこうした組み合わせによる発想自体が、日本以外では生まれようがないのだ。そこに日本人の「造り変える力」の一つの秘密がある。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

ユーラシア大陸に比し、日本列島に生きた人々が古来、本格的な牧畜を知らなかったことは、日本文化のユニークさを特徴づける大きな要素になっていると思う。縄文人が牧畜を取り込まなかったのか、弥生人が牧畜を持ち込まなかったのか。いずれにせよ牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。

一方、ユーラシア大陸の、チグリス・ユーフラテス、ナイル、インダスなどの、大河流域には農耕民が生活していたが、気候の乾燥化によって遊牧民が移動して農耕民と融合し、文明を生み出していったという。遊牧民は、移動を繰り返しさまざまな民族に接するので、民族宗教を超えた普遍的な統合原理を求める傾向がが強くなる。

さらに彼らのリーダーは、最初は家畜の群れを統率する存在であったが、それが人の群れを統率する王の出現につながっていく。また、移動中につねに敵に襲われる危険性があるから、金属の武器を作る必要に迫れれた。こうした要素が、農耕民の社会と融合することによって、古代文明が発展していったという。これはまた、母性原理の社会から父性原理の社会へと移行していく過程でもあった。

牧畜を行う地域では、人間と家畜との間に明確な区別を行うことで、家畜を育て、やがて解体してそれを食糧にするという事実の合理化を行う傾向がある。人間と、他の生物・無生物との境界を強化するところでは、縄文人がもっていたようなアニミズム的な心性は存続できないのだ。

牧畜を行わず、稲作・魚介型の文明を育んできた日本は、ユーラシアの文明に対し次のような特徴を持った。

①牧畜による森林破壊を免れ、森に根ざす母性原理の文化が存続したこと。
②宦官の制度や奴隷制度が成立しなかったこと。
③遊牧や牧畜と密接にかかわる宗教であるキリスト教がほとんど浸透しなかったこと。
④遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育んだ。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。
(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

次に異民族の侵略、征服を免れた日本という側面から、日本の「造り変える力」を探ってみよう。日本が大陸から適度に離れた島国であることは、日本文化に二つの特徴を与えた。

ひとつ目、日本は大陸の文化を侵略などによって押し付けられたことがなく、自分たちの必要に応じて「いいとこどり」(堺屋太一)することができたことだ。日本人は中国の文明も、間接的にインドの文明も、下っては西欧の文明も、抵抗なくむしろ憧れをもって自由に選んで受け入れていった。そして、他文明の原理原則にこだわらないから、さまざまな文明の要素をくったくなく併存させていったのである。おそらくそれは自分たちの縄文的心性を犯さない限りにおいてであった。だからあれほど熱心に西欧文明から学び取りながら、一神教そのものはほとんど拒否したのである。

自文化のアイティティを根底から脅かすものはほとんど無意識に拒否するという強固な傾向により、一神教だけではなく、奴隷制も宦官も科挙も日本には入ってこなかった。しかし、一度取り入れたものは、その背景にある原理原則にこだわらず自由に組み合わせて、そこから独自のものを生み出すことができた。それぞれの文化の背景にある宗教やイデオロギーに縛られずに、さまざまな要素を融合させてしまう柔軟さは、現代のポップカルチャーにもいかんなく発揮されている。例を挙げればきりがないが、たとえば宮崎駿のアニメ作品のなかにどれだけ神道的な要素や古代中国的な要素や西欧的な要素が融合しているかを見ればよい。

さて、日本が島国であることからくる二つ目の特徴は、日本が異民族による侵略がほとんどない平和で安定した社会だったというこである。異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。

異民族に制圧されなかったことが、日本を相対的に平等な国にした。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となり、そういう信頼を前提とした庶民文化が江戸時代に花開いたのだ。

江戸の庶民文化が花開いたのは、武士が、権力、富、栄誉などを独占せず、それらが各階級にうまく配分されたからだ。江戸時代の庶民中心の安定した社会は世界に類をみない。歌舞伎も浄瑠璃も浮世絵も落語も、みな庶民が生み育てた庶民のための文化である。近代以前に、庶民中心の豊かな文化をもった社会が育まれていたから、植民地にもならず、西洋から学んで急速に近代化することができたのである。(中谷巌『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること』)

幕末から明治初期にかけてヨーロッパとくにフランスを中心としてジャポニズムと呼ばれる現象が巻き起こった。これもまた、江戸時代の豊かな庶民文化が背景にあり、庶民の生活から生み出された浮世絵や工芸品だったからこそ、当時のヨーロッパ市民階級の共感を呼ぶものがあったのである。

現代の日本も、江戸時代の庶民文化のあり方を引き継いでいる。近年、貧富の格差が拡大したとはいえ、世界の他地域に比べるとまだまだ階級差の少ない社会を形成している。とくに知的エリートと大衆との間の格差が少なく、教養の高い圧倒的多数の大衆が日本の社会を支え、また日本人の創造性の基盤となっている。「初音ミク」が新たな潮流になりつつあるのも、プロではない無数の人々が作曲し、CGを作り、協力しあいながら作品を作り上げていくからだろう。大衆相互の切磋琢磨が、日本人の「造り変えて新たなものを生み出す力」のひとつの源泉となっている。

ここまでの議論をまとめよう。まず日本人の縄文的な古層と現代の最先端のテクノロジーという類を見ない組み合わせが、創造性のひとつの源泉となっている。しかし、それだけではなく、その古層の上に、中国文明やインド文明や西欧文明のさまざまな要素が自由に融合されていった。そして、それらを学びとり、消化し、そこから自由な発想で新しいものを生み出すことのできる層の厚い大衆がいた。これらの特徴は、現代にまで引き継がれ、複合的に働くことで現代日本人の文化的な活力を形づくっている。

(6)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。
(7)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。
(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

以上の3項目については、合わせてかんたんに触れておきたい。

日本では、国内に戦乱はあったにせよ、規模も世界史レベルからすれば小さく、長年培ってきた文化や生活が断絶してしまうこともなかった。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となったし、文化の活力となった。

一方で自然災害による人命の喪失は何度も繰り返された。しかし、相手が自然であれば諦めるほかなく、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせ協力して生きていくほかない。東北大震災の直後に見せた日本人の行動が、驚きと賞賛をもって世界に報道された。危機に面しても混乱せず、秩序を保って協力し合う日本人、それは日本の歴史の中で何度も繰り返されてきた日本人の姿であった。地震を筆頭に 日本の自然は不安定であり、 いつも自然の脅威にさらされてきた。それが日本人独特の 「天然の無常観」(寺田寅彦)を生んだ。その無常観が、絶対的なイデオロギーを信じない、日本人の相対主義を強めたのかもしれない。

日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、儒教であれれキリスト教であれ、宗教による強力な一元的支配を必要としなかった。イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた。強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築を経ず、村的な共同体から逸脱しないで、それをかなり洗練させる形で、大きくしかも安定した、高度な産業社会を作り上げてしまった。ここに日本のユニークさと創造性のひとつの源泉がある。

西洋人は、そしてユーラシア大陸の多くの民族も、宗教やイデオロギーのような原理・原則の方が優れていると思っている。ところが日本人は、イデオロギー的な宗教支配なくして、とくにキリスト教なくして、キリスト教から派生したはずの近代国家を形成した。農耕文明以前の、自然崇拝的な精神を基盤としたまま高度産業社会を発展させた。

この事実は、文明史的な観点からいってもきわめて特異なことだろう。その特異さは、文化的な観点からいってもきわだっている。宗教などによる一元的な価値観の支配なくして高度に現代的な社会を営み、しかも世界のあらゆる文化的アイテムを相対化して自由に使いこなしながら、相対主義的な価値観にたった作品を次々の生み出してく。

一元的な宗教を基盤とし、多少なりともハードな統合性をもった文化から見ると、日本のポップカルチャーはどこか無原則的に見えだろう。しかし、その何でもありの柔軟性や融合性の中から思いがけない発想の作品が生まれてくる秘密があるのだ。堅固な宗教的基盤を背景にする国々は、日本のアニメやマンガに接すると、自分たちがよって立つ文明原理を根底から揺さぶり動かされるような衝撃と、同時に魅力を感じるのかもしれない。

マンガ・アニメの創造性と相対主義的な価値観との関係は次の記事を参照されたい。

マンガ・アニメの発信力と日本文化(3)相対主義
マンガ・アニメの発信力と日本文化(4)相対主義(続き)
ジャパナメリカ02


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《関連図書》
★『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること
★『格差社会論はウソである
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)
★『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力
★『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)
★『日本型ヒーローが世界を救う!
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)

日本の秘密「造り変える力」(2)

◆『いま本当に伝えたい感動的な「日本」の力

引き続きこの本に触れながら日本文化の「造り変える力」の秘密を追ってみたい。著者は、日本が太古の昔から積み重ねてきた文明は、伝統的価値観である「和」の原理と「共生」の思想を核とするといい、そこに「造り変える力」の源泉を見る。この二つの価値観が外国の文物を取り入れる取捨選択の規準となるというのだ。これらの価値観に合わないものは、たとえ日本に導入されたとしても根づくことはない。または日本の実情に合ったものへと造り変えられてしまうのだ。とすれば「造り変える力」とは正確に言えば、海外から取り入れたものを自分たちの社会や文化に合うように変形する力だといえるだろう。

著者は、日本人は古来、国外から移入したものが日本の社会に合うかどうかを判断する「本能的感覚」をもっているという。日本の根本原理に合わないものは、不自然なものとして排除や造り変えが行なわれる。日本という社会の根底を揺るがす事態に直面したとき、この「皮膚感覚」が働いて、日本という国を守ってきたいうのだ。

私もこの見方に心から同意する。私たちの「皮膚感覚」が健在であるかぎり、日本が何らかの危機に陥っても、再びもとの日本へと戻ることが出来るのではないだろうか。たとえばグローバリズムやTPPなどによって極端な市場原理主義や新自由主義の経済が蔓延したとしても、これは「和」と「共生」の原理に合わないと「皮膚感覚」で感じるかぎり、再び排除するか、日本人の肌に合った共生の資本主義へと変えていく可能性があると思う。もちろん最初からそれらに侵されないに越したことはないが。私たちの「本能的感覚」がまだ生きていて働いてくれるかどうかだ。

さて、「本能的感覚」や「皮膚感覚」という形で日本人が無意識のうちにもっている根本原理とは何なのか。「和」や「共生」といってもいいが、少し漠然としすぎている。そこで、これまでこのブログで追求してきた、日本文化のユニークさ8項目に沿って検討しよう。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

日本人が、自分たちの文化の根本原理に合うかどうかを本能的に嗅ぎ分ける規準は、おそらく縄文時代以来受け継いできた深層の記憶だ。本格的な農業を伴わない新石器文化という、世界的にも特異な縄文文化を、私たちの祖先は1万年以上生きてきた。新石器時代の人類としては類を見ない、本格的農耕を伴わない「自然との共生」を、世界の他地域よりも驚くほど長期にわたって保ち続けていたのである。その体験の記憶が、私たちの価値観の根底に生きていたとしても不思議ではない。

今に至るまで生き続ける縄文時代の記憶。そのひとつは、豊かな「自然との共生」を基盤とする宗教的な心性である。たとえば、現代の日本人がもっている「人為」と「無為」についての感じ方をみよう。日本人は傾向として、意識的・作為的に何かを「する」ことよりも、計らいはよくない、自然のまま、あるがままの方がよい、という価値観をかなり普遍的に共有していないだろうか。私たちの美意識の中にもそういう傾向が色濃く残っていて、けばけばしい作為的、人工的な美よりも、自然にかぎりなく近い、計らいのない美しさにひかれる。

こうした傾向は、老荘思想や仏教の影響から来ているともいえなくもないが、それ以前の私たちの祖先の生活がつよく影響しているのではないか。農耕という、ある意味で作為的な営みよりもはるかに長く、自然と「共生」する生き方を続けていた縄文人の記憶が、弥生時代以降も残り続け、それが老荘思想や仏教思想と共鳴し、現代人の心の中にまで連綿と受継がれてきたのではないか。

ふたつには、農耕の発達にともなう階級の形成や、巨大権力による統治を知らない平等な社会が1万数千年も続いたことから来る強い平等意識である。縄文時代は、素朴で平和な共同体を営み、支配・被支配の関係がほとんどない平等社会だった。たしかに縄文中期以降は、階級差を示唆する遺跡も存在するが、巨大権力は生まれなかった。それは、先に見たように縄文社会が妻問婚に基づく女系社会だったことによるのかもしれない。自然に恵まれ山海の幸が豊かだったため、穀物農業をあえて受容せずに済んだからかもしれない。穀物は貯蓄が容易なため貧富や階級差が生まれやすいのだ。いずれにせよ、階級差の少ない長い平和な時代の体験が、その後の日本に何らかの影響を与えていったのは確かであろう。

縄文時代の記憶が、のちの時代に生き残っていった理由は次のようなものだろう。第一に、縄文時代から弥生時代への移行が、弥生人による縄文人の征服、縄文文化の圧殺という形で行われたのではなく、両者の融合というかたちで進んだこと。そのため縄文文化が濃厚に引き継がれたのである。第二に、日本列島は、国土の大半が山林地帯だったこと。日本の水田稲作の特徴は、狭小な平野や山間の盆地などで、ほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきたことだ。つまり巨大な権力やその維持のための強力なイデオロギーは必要なく、そのため縄文時代以来のアニミズム的心性や平等主義の文化が圧殺されにくかったのである。

こうして、縄文人の一万数千年の記憶が日本人の心の中の生き続けた。またそれが無自覚の規準となって、その基準に合わないものは排除したり、変形したりしようとする原動力となったのであろう。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

縄文時代の母性原理の社会という特徴は、つい最近も論じたばかりなのでここでは繰り返さない。「自然との共生」とは、「母なる自然」の懐に抱かれて生きるという意味である。縄文以来の母性原理を基盤にした文化は、現代に至るまで私たちの心の中に連綿と続いている。そしてこれもまた私たちの内面で強烈なフィルターとなっていて、あまりに父性原理的な制度や文化には、拒否反応を示す。キリスト教が日本でほとんど広まらないのは、その強烈な父性原理のためだともいえよう。

さて、8項目のうち残りの(3)~(8)ついては、次回に回すことにしたい。

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《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

日本の秘密「造り変える力」(1)

◆『いま本当に伝えたい感動的な「日本」の力

著者は、ウクライナ兼モルドバ大使をはじめ、イギリス、インド、イスラエル、タイ、キューバでの勤務経験をもつ外交官である。その豊富な外国経験から、多くの発展途上国が共通に、日本から是非とも学び取りたいと思っていることがあるのを知ったという。それは、日本がどのようにして近代化と文化のアイデンティティを両立させながら経済的繁栄を成し遂げたがということである。世界、とくに発展途上国から見ると、日本が日本らしさを失わずに近代社会を築いたことが奇跡と見えるらしい。生活水準は向上させたいが、伝統的な人間関係や共同体も失いたくない。日本はどのようにしてこの二つを両立させることができたのか。

その秘密を著者は、日本が古くからもっている「造り変える力」にあるとみる。それは西欧文明に代表される「破壊する力」に対比される。「破壊する力」は、一神教の対立的世界観に基づく権力政治の論理であり、西洋の植民地主義にみられる弱肉強食の論理である。16世紀のスペインによるラテン・アメリカの征服が、いかに残虐な「破壊する力」を行使したか、いまさら語るまでもないだろう。

こうした西欧の「破壊する力」に対し、日本人の「造り変える力」は、能動的な破壊力や攻撃力ではなく、一見消極的で受け身にみえる。しかし結果としてとてつもない力を発揮する。それは、外来の文物を受け入れながら、そのまま導入するのではなく、日本の伝統にあった形に変えて受け入れていく力である。しかも多くの場合、元の物より優れたものに改良してしまうのである。

たとえば中国文明を受容するにしても、そのままではなく独特の「造り変え」を行った。漢字という文字の体系をそのまま受け入れるのではなく、訓読したり仮名文字を発明したりして、あくまでも日本語の体系の中で使いこなしていった。長安の都市構造を真似ながら長安にあった強固な城壁は省略した。儒教を学びながら科挙は受け入れなかった。宦官も纏足も受け入れなかった。仏教を受け入れる際も、本地垂迹説や神仏習合思想によって神道と共存する形に「造り変え」を行った。

明治以降は、あれほど熱心に物心両面にわたって西欧文明を受け入れながら、その中核をなすキリスト教の信者は、総人口の1パーセントを大きく超えることはなかった。いわゆる「和魂洋才」だが、もちろん洋魂を無視したわけではない。洋魂も洋才も日本の伝統や習慣に馴染むように「造り変えた」のである。

(なお、本ブログでも、日本でキリスト教が広まらなかった理由を何度も考察してきた。その代表的なのは以下のものである。参照されたい。→キリスト教を拒否した理由:キリスト教が広まらない日本01

この「造り変える力」はどこから来たのか。著者はフランスの駐日大使だったポール・クローデルの言葉をかり、日本は太古の昔から文明を積み重ねてきたからこそ、欧米文化を導入しても発展することができたのだという。つまり、明治初期の日本文化の水準が欧米文化を吸収して自分なりに消化できるレベルに達していた。さらに、日本文明がすでに高度な文明だったからこそ、欧米文化に一方的に圧倒されることなく、それを上手に独自な形で摂取し、発展させることができたというのである。

確かにその通りだろうが、これだけではもう一つ大切な要素が抜け落ちていると私は思う。実はこれについても本ブログでずいぶんと考察してきた。たとえば以下の考察である。

『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が
『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら
『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力
『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力
『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて
『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム

日本は「辺境」の島国であったために、これまで「世界標準」や「普遍的な文明」を生み出すことはなかった。大陸で生まれた「世界標準」をひたすら吸収してきた。そうやって形成された日本の文化は、「受容性」を特徴としていた。それは、もっぱら「師」から学ぶ姿勢で吸収し続けることである。そうやって中国文明を吸収し、それを自分たちの伝統に添う形で洗練させ、高度に発展させてきた。異民族に侵略・征服された経験をもたない日本は、海の向こうから来るものには一種の憧れをもって接した。そして外来の優れた文物(自分たちにとってプラスになるという意味で)だけをいいとこ取りして、利用することができた。西欧諸国による侵略を免れた日本は、かつて中国文明に接したときと似たような態度で、西欧文明に憧れ、その優れたところだけ(自分たちに必要なところだけ)を吸収することができたのである。

これに対して中国やインドはどうであったか。それらはいずれも「辺境」ではなく、かつて「世界標準」を発信した誇り高き文明であった。しかも近代、西欧文明の「破壊する力」の犠牲となり、その負の面をも実感として嫌というほど知っていた。だから「辺境日本」の如き、純粋な少年が崇拝する師に憧れ、夢中で師から学び取ろうとするような姿勢は取りえなかった。師を仰ぎみる純粋な少年と、その「破壊する力」にかつての栄光を粉々に打ち砕かれた年配者とでは、その吸収力に雲泥の差があったとしても不思議ではない。

もう一度、最初の問いに戻ろう。日本人が、外来の科学や文化を日本の伝統や習慣に合わせて「造り変える力」はどこから来るのか。実は、この問いヘの答えは、本ブログが、日本文化のユニークさを8項目の視点として論じてきた、ほとんどすべての項目に関係していると思う。次回は、この8項目との関連で、日本人の「造り変える力」の秘密をさらに詳しく追ってみたい。

《参考文献》
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)