一人ひとりの人間が、それぞれの個性をもち、ユニークな存在であるのと同様に地球上のどの民族も文化も国家も、それぞれにユニークな特徴をもつ独自な存在である。日本文化だけがことさらユニークなのではないだろう。しかし、ある視点から見るとき、世界の他の民族や文化にくらべて日本がどのようにユニークかということが、かなりはっきりと見えてくるように思う。と同時に他の文化や民族も、それぞれのユニークさが浮かび上がる独自の視点が存在するのだと思う。私たちは、日本人である以上、世界の他の様々な文化とは違う日本文化のユニークさがとくにはっきりと見えてくる視点を知り、そこから自分たちの文化や社会への理解をより深める必要がある。
その視点が、日本文化のユニークさの条件となる8項目なのだが、その中でもとくに第一番目の項目が大切だと思う。
(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
縄文文化は、日本文化を形成する上でのもっとも古い層をなしているが、それだけでなく現代に生きる私たち日本人が、もっとも気づきにくいかたちで、いまなお私たちの心のなかに生き続け、影響を与え続けているのだ。
これまでに無数の日本人論や日本文化論が書かれてきたが、その主張を縄文文化にまでさかのぼって基礎づけているものは意外と少ない。しかし日本列島に1万数千年も続いた縄文時代が、その後の日本の社会や文化に与えた影響は私たちがこれまで認識していた以上にり大きいと思われる。縄文文化の影響を視野にいれながら日本人論・日本文化論を読み直すことはきわめて重要なことだ。
その作業が重要であるひとつの理由は、縄文文化という農耕文明以前の文化が消滅せずに、高度文明社会に生きる現代人の心の基層に息づいていることは世界史の流れの中でもきわめてまれなことで、それ自体が日本文化のユニークさをなすひとつの要因だからだ。この事実の重要さは、私たちが想像する以上に大きいのかも知しれない。
旧石器文化を人類史の第一段階とするなら、農業の開始とともに始まる新石器文化はその第2段階をなす。縄文文化は、土器を制作し定住していたという、明らかに旧石器文化にはない特徴をもっている。それでいながら新石器文化の本質をなすはずの本格的な農業を伴わない。農業を新石器文化の前提としてしまうと、縄文文化をうまく位置付けることができない。
縄文文化は、「新石器文化に併行あるいは相当する日本列島の文化」というような苦し紛れの定義でもしないと世界史上に位置付けられないユニークさをもっているのだ。人類史上の第2段階に、農業を伴うものと伴わないものという二つがあり、縄文文化は後者だと考えざるを得ない。
私は、本格的な農業を伴わない新石器文化という縄文文化の特徴は、日本文化全体を語るうえでどれほど強調してもし過ぎることはないほど重要な意味をもっていると考える。日本列島に住む人々が、1万数千年にわたってこのような縄文文化を生きたということが、その後に展開した日本文化の全体に深く影響していったのではないか。
日本列島で歴史の第1段階から第2段階へという縄文革命が起こった引き金は、土器の制作と使用だったという。土器を使うことで煮炊き料理が可能となり、食糧事情も安定した結果、ムラでの定住的な生活様式も始まった。
縄文時代の土器の制作量は、本格的な農耕をともなわない社会としては、世界のどの地域にくらべてもきわだって多いという。縄文人が、土器を日常的に煮炊きに使っていた結果である。縄文社会が、農業を基盤とした大陸の社会に劣らない文化的な充実度をもっていた大きな要因に、煮炊き用の土器の普及があったと言えよう。土器はそれほど重要な歴史的意義をもっていた。
農耕民は、自然に依存しながらもそれをあるがままにせず、開墾して農地を拡大する方向に進む。ムラという人工空間の外に、農地=ノラというもうひとつの人工空間を作り、それをさらに拡大しようとする。その意味では、自然に依存するだけでなくそれを征服しようとする意識も強化される。
一方縄文人は、ムラの周囲のハラを生活圏とし、その自然と密接な関係を結ぶ。自分たちの生活がそこに依存するハラを勝手に荒らせば、自分たちの生存が脅かされることを縄文人はいやというほど知っていた。周囲の自然を荒らしすぎず大切に守り、そこから許されるだけの恵みを得ることで、自分たちの永続的な生存が保障されるのだ。こうして彼らは、ハラのさまざまな自然の背後に精霊を感じ、その恵みに抱かれて生きていることを実感しただろう。縄文人は、木や草や川や森や様々な生き物を自分たちと同格の存在、あるいはそれ以上の神聖な存在と感じていたのだ。(小林達雄『縄文人の思考』)
大切なのは、日本列島に生活した私たちの祖先は、新石器文化の段階に入ってもなお、そのような自然との関係を1万数千年も保ち続けていたということだ。新石器時代の人類としては、かなり特異な自然との共生を、世界の他地域よりも驚くほど長期にわたって保ち続けていたのが、私たちの祖先なのだ。その記憶や影響が現代の私たちにまで色濃く残っていたとしても不思議ではない。
では、現代まで消滅せずに日本人のあり方の基層となっている縄文文化の記憶とは何だろうか。それは大きく分ければ次のような三点に整理できると思う。第一に、豊かな森と海に恵まれた自然の中で育まれた、自然への畏敬を基礎とする宗教的な心性であろう。それが多少とも現代にまで引き継がれている。第二には、農耕の発達にともなう階級の形成や、巨大権力による統治を知らない平等な社会が1万数千年も続いたことが、現代日本人の平等意識にまで何かしら影響を与えたのではないかということである。第三には、豊かな自然の恵みを母なる自然の恵みとみなす母性原理の心性である。これは「日本文化のユニークさ」の1項目目に基礎をおくが、母性原理の文化は、現代日本文化のかなり大きな特徴にもなっているので2項目として独立させた。