2017年3月18日土曜日

絶対的理念への執着が薄い日本人

(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。」

「以上の理由」の中でいちばん大きいのは「異民族により侵略、征服された体験」がないことであろう。異民族の侵略に出会えば防衛上、異民族の宗教よりも自分たちの宗教の方が優れていることを示すため、その理論化や体系化を強いられる。キリスト教国家による侵略の危険に晒されれば、自分たちの宗教もそれに対抗しうる理論化を果たさなければならない。日本人にはその必要がなく、ただ肌に合わないからと拒否すれば済んだのである。

狩猟採集や小規模な農業によって成立する社会は、自然とのかかわりや部族の社会がそれなりに調和していた。それが異民族の侵入や戦争、帝国の成立といった事情の中で崩れ去ると、そこに何らかの秩序を取り戻すために、部族を超えた「普遍宗教」が必要となった。それが一神教であり、あるいは仏教や儒教であった。これらに共通するのは、それぞれの部族が信じていた神々を否定するということであった。

血縁的、地縁的な、小規模な原初的共同体が、自然との共生関係にあるような状態では、呪術や多神教が自然発生的に生まれる。しかし、異民族が侵入したり、多民族の帝国が生まれてくるときは、多神教の自然崇拝や部族特有の習俗にとらわれていたのではやっていけない。民族や部族を超えて妥当性をもつような「普遍宗教」が必要となる。

それまで信じられていた神々を否定し、放逐してしまうという一点で、一神教、仏教、儒教は共通するところがある。それ以前の世界は一度、壊され、そして再建された。再建したのが宗教であり、それが文明を作り、その文明が発展することで今の世界がある。

この本では、ユダヤ教やキリスト教が生まれてくる背景を、仏教や儒教にも共通する広い歴史的な視野から振り返るという文脈で、以上のようなことが数ページほどかんたんに語られていたにすぎない。しかしこの視点は、日本文化のユニークさを語るうえでこのうえなく大切なものだと思う。

狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。それは、日本が大陸から適度に離れた位置にあるため異民族による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたなかったからである。だからこそ、普遍宗教以前の自然崇拝的な心性を、二千年以上の長きにわたって失わずに心のどこかに保ち続けることができたのである。

「普遍宗教」などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかったのは、民族間の熾烈な抗争を経験することなく、大帝国の一部に組み込まれることもなかったからである。

その結果、日本人の心はキリスト教からはもっとも遠くにあり、キリスト教をもっとも理解しにくい位置にある。縄文的な心性は、キリスト教的な一神教を容易に受け入れることはできない。だからこそ、西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

「普遍宗教」以前の心性が今もなお無自覚なレベルで息づいている日本の社会が、近代文明をを学び受け入れた優等生でもあったという歴史の皮肉。そこに日本文化のユニークさとクールさの源泉がある。マンガやアニメに夢中になる世界中の人々は、たとえ無自覚にせよ、日本文化のこのパラドックスに夢中になっているのだ。

《関連図書》
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見

異民族間の激しい抗争の中で生まれた一神教は日本人の肌に合わない

(3)「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。」

ユーラシア大陸の大部分は、穀物と同時に牧畜や遊牧に深く根ざした文化を形成した。食用に家畜を育て、管理し、食べることが人間の食生活の重要部分をなすのだ。聖書を少し読めば、神と人との関係を人の家畜との関係に例えて語ることがいかに多いかがわかるだろう。本格的な牧畜を知らなかった日本人には、キリスト教を含む一神教のそうした発想が肌に合わないのだ。

キリスト教は、遊牧民的ないし牧畜民的な文化背景を強くにじませた宗教であり、牧畜文化を知らない日本人にとっては、根本的に肌に合わない。絶対的な唯一神とその僕としての人間という発想、そして人間と動物とを厳しく区別する発想の宗教が、縄文的・自然崇拝的心性には合わない。

一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。


(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。」

 宗教を考える場合、多神教と一神教という対立軸もあるが、古代には一神教のほかにもほぼ同時期にさまざまな宗教が興っている。インドでは仏教、中国では儒教など。これらには共通点があり、それまでの伝統社会の多神教とは対立している。伝統社会の多神教は、日本では縄文時代の信仰や神道のようなもので、大規模農業が発展する以前の小規模な農業社会か、狩猟採集社会の、自然との調和の中に生きる素朴な信仰である。

日本社会では、先進国のなかでは唯一、そんな素朴な信仰が人々の心の無自覚な層にかなり色濃く残っている。もちろんこれは日本文化のユニークさの(1)に対応する。だからこそ、キリスト教からはいちばん遠いし、キリスト教が分からない度合いもいちばん高いのだ。

キリスト教と同じ一神教であるイスラム教は、キリスト教との距離が近い。では中国文明はどうか。儒教のような中華帝国を成り立たせた観念は、キリスト教とはまったく別のものではある。しかし、日本の伝統的な生活態度や常識と比べれば、着想の基本的な部分でキリスト教と似たものをもっているという。

 日本以外のほとんどの場所(ユーラシア大陸のほどんどの文明)では、異民族の侵入や戦争や、帝国の成立といった大きな変化が起こり、自然と素朴に調和した社会は、あとかたもなく破壊されてしまう。その破壊の後に、ユダヤ教やキリスト教、仏教、儒教といった「普遍宗教」が生まれてくる。そういう「宗教」が生まれてくる社会的な背景が、日本にはなかった。日本は、それほどに幸運な地理的な環境に恵まれていたのだ。これが日本文化のユニークさ5項目でいえば、(3)と(4)に当たるわけだ。

近代社会の根拠となっている西洋文明の根底にはキリスト教がある。近代化とは、西洋から、キリスト教に由来するさまざまな理念や制度を、西洋以外の国々が受け入れる過程でもあった。ところが、日本という国は、非西欧社会でいちばん早く近代化に成功したにもかかわらず、近代化の根元にあるキリスト教からいちばん遠い文明なのだ。キリスト教を「わかっていない度合い」がいちばん高いのである。

日本文化のユニークさは、キリスト教からいちばんかけ離れているにもかかわらず、いちばんはやく近代化したところにこそあると思われる。しかもこの事実は、そもそも文明とは何かを考えるうえで決定的に重要なことなのだ。そのような日本文化のユニークさ自体が、文明とは何だったのかという問いを私たちに突きつけてくるのだ。


 (5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」

一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。

ユーラシア大陸の諸民族は、悲惨な虐殺を伴う対立・抗争を繰り返してきたが、それはそれぞれの民族が信奉する宗教やイデオロギーの対立・抗争でもあった。その中で、自民族をも強固な宗教などによる一元支配が防衛上も必要になった。キリスト教、イスラム教、儒教などは多少ともそのような背景から生じ、社会がそのような宗教によって律せされることで「文明化」が進んだ。

しかし、日本はその地理的な条件から、異民族との激しい対立・抗争にも巻き込まれず、強固なイデオロギーによって社会を一元的に律する必要もなかった。だから儒教も仏教も、もちろんキリスト教も、社会を支配する強力なイデオロギーにはならなかった。

したがって、日本文化には農耕・牧畜文明以以前の自然崇拝的な心性が、圧殺されずに色濃く残る結果となった。要するにユーラシア大陸に広がった「文明化」から免れた。ヨーロッパで、キリスト教以前のケルト文化などが、ほとんど抹殺されていったのとは、大きな違いである。

アジア・アフリカ・南北アメリカの多くの地域は、多少ともヨーロッパの植民地支配を受け、その地域に深く根ざした言語や文化が時には根絶やしにされ、歪められ、あるいは片隅に追いやられたケースも多い。またヨーロッパでも農耕以前の文明が継承されたケースは少ない。日本の場合は、その地理的な幸運もあって、縄文時代以来の母性原理に根ざした文化や言語が現代にまで多かれ少なかれ継承されている。

そうした幸運から日本列島の人々は、中国文明や西欧文明の 良い面だけをひたすら吸収できたと同時に、自分たちの文化的伝統に合わないものは選ばないという選択の自由があったのである。だからこそキリスト教をはじめとする一神教は選ばれなかった。植民地支配を受けた国(たとえばフィリピン)では、支配者の宗教が現地の人々に与える影響は、植民地支配を受けなかった国に比べはるかに大きいであろう。

縄文以来の母性原理の文化が父性的な一神教を拒んだ

 (2)「ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。」

世界史にもまれな特異な形での長い縄文時代とそれに続く稲作の時代は、母なる自然の恵みへの思いを基盤とした母性原理の宗教と文化を形作った。それが、砂漠や荒野を中心とした厳しい自然の中で生まれた父性原理の宗教への違和感を生むのである。

縄文文化が基層文化として生き残ったのは、日本が大陸から適度に隔たった島国であるということや、その大半を山岳と森に覆われいたという地理的な条件に負うところも大きいだろう。海で隔てられていたからこそ徐々にしか渡来できなかった。また山と森に覆われていたからこそ、縄文人と弥生人の緩やかな住み分けと共生が一定期間可能であったのである。

こうして縄文的基層文化は、弥生時代になっても消えることなく、銅鐸の文様に縄文的な図形が描かれ、弥生土器にも縄文土器の流れをくむものが見られるのである。

その後大陸から仏教がもたらされるが、仏教は縄文的な基層文化に合うように変形され、受け入れられていくのである。それは、神道と仏教が、それぞれの要素を取り入れながら並存していくという形としても現れた(本地垂迹説など)。仏教に対しても縄文的な基層文化は根づよく生き残ったのである。

ちなみに朝鮮半島では、仏教以前の宗教の痕跡がほとんど残っていないという。ヨーロッパでは、キリスト教以前のケルト文化などが注目されるが、それはほとんどの地域でキリスト教によって圧殺されていったのである。

やがて日本にもキリスト教が伝来する。しかしこの宗教は日本列島にはほとんど定着することができなかった。そのひとつの理由は、この時期に日本がキリスト教国による植民地化を免れたからだろう。つまり暴力的な押しつけができなかった。である以上、キリスト教が日本に広まることは不可能であった。キリスト教は、日本の基層文化にとってあまりに異質なために受け入れ難く、また受け入れやすく変形することも難しかったのである。

キリスト教は、形を自由に変えて受け入れることを拒む強固な原理性をもっている。日本に合うように形を変えてしまえば、それはもはやキリスト教とは言えないのである(正統と異端の問題)。仏教が、原始仏教と大きくかけ離れても仏教でありうるのとは好対照をなしている。

西洋文明は、キリスト教を背景にして強固な男性原理システムを構築した。それはしばしば暴力的な攻撃性をともなって他文化を支配下に置いた。男性原理的なキリスト教に対して縄文的な基層文化は、土偶の表現に象徴されるようにきわめて母性原理的な特質を持っている。その違いが、日本人にキリスト教への直観的に拒否反応を起こさせたのではないか。

 一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。

日本文明は、母性原理を機軸とする太古的な基層文化を生き生きと引き継ぎながら、なおかつ近代化し、高度に産業化したという意味で、文明史的にもきわめて特異な文明なのである。

縄文文化の記憶がキリスト教を拒否する

(1)「漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。」

一万数千年続いた縄文時代は、磨製石器や土器を使用しながら本格的な農業は営まないという、世界史的にもきわめてユニークな時代であった。それだけ自然に恵まれ自然に依存し、自然と一体化した時代の記憶が日本人の心性の根底にあり、その心性こそが砂漠や遊牧を基盤として生まれた一神教を拒絶するのである。

現代日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、アニミズム的、多神教的な傾向が、無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教など一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。
縄文文化は、その後の日本文化の深層としてしっかりと根をおろし、日本人のアニミズム的な宗教感情の基盤となっている。日本人の心に根付く「ソフトアニミズム」は、キリスト教的な人間中心主義とは違い、身近な自然や生物との一体感(愛)を基盤としている。日本にキリスト教が広まらなかったのは、日本人のアニミズム的な心情が聖書の人間中心主義と馴染まなかったからではないのか。

 縄文文化が基層文化として生き残ったのは、日本が大陸から適度に隔たった島国であるということや、その大半を山岳と森に覆われいたという地理的な条件に負うところも大きいだろう。海で隔てられていたからこそ徐々にしか渡来できなかった。また山と森に覆われていたからこそ、縄文人と弥生人の緩やかな住み分けと共生が一定期間可能であったのである。

その後大陸から仏教がもたらされるが、仏教は縄文的な基層文化に合うように変形され、受け入れられていくのである。それは、神道と仏教が、それぞれの要素を取り入れながら並存していくという形としても現れた(本地垂迹説など)。仏教に対しても縄文的な基層文化は根づよく生き残ったのである。

やがて日本にもキリスト教が伝来する。しかしこの宗教は日本列島にはほとんど定着することができなかった。そのひとつの理由は、この時期に日本がキリスト教国による植民地化を免れたからだろう。つまり暴力的な押しつけができなかった。である以上、キリスト教が日本に広まることは不可能であった。キリスト教は、日本の基層文化にとってあまりに異質なために受け入れ難く、また受け入れやすく変形することもキリスト教の厳密な教義からして難しかったのである。

ただし私たちは、縄文的な基層文化が私たちの個々の意識や文化の底流として生き残っていることにほとんど無自覚である。その基層文化が、自分たちに合わないものはフィルターにかけて排除する働きをしていることについても無自覚である。しかし実は、海外から入ってくる「高度な文明」にも強力なフィルターをかけられて取捨選択がなされている。近代文明をこれほど素早く受け入れながら、その根っこにあるキリスト教をみごとにフィルターにかけてしまったというのはその最たる例である。

西洋文明は、キリスト教を背景にして強固な男性原理システムを構築した。それはしばしば暴力的な攻撃性をともなって他文化を支配下に置いた。男性原理的なキリスト教に対して縄文的な基層文化は、土偶の表現に象徴されるようにきわめて母性原理的な特質を持っている。その違いが、日本人にキリスト教への直観的に拒否反応を起こさせたのだともいえよう。

日本人はなぜキリスト教を信じないのか

このブログでは「キリスト教が広まらない日本」というカテゴリーを設けている。なかでも キリスト教を拒否した理由:キリスト教が広まらない日本01   という記事はよく読まれているようだ。前回少し触れた、日本で曹洞禅の住職となったネルケ無方氏は、同じ本に「日本人はなぜキリスト教を信じないのか」という一章を設けて、この問題を語っている(『日本人に「宗教」は要らない (ベスト新書)』)。彼の考えを紹介しよう。その上で私の考え方を振り返ってみたい。ネルケ無方氏の挙げる理由は次の三つである。

①先祖崇拝を基本とする日本社会では、「キリスト教徒になって自分が救われても、先祖が救われないのでは意味がない」と考えられた。

②キリスト教の「一神教」と日本人の宗教観がうまく折り合わなかった。他宗教を認めず排除するキリスト教は、日本人はシンクロできない。

③キリスト教と国家権力とがうまく結びつかなかった。欧米では、ローマ法王が宗教界のトップで、各国の権力者は時に権力争いをしても、基本的に法王を否定しなかった。日本の場合は、キリスト教を導入すると、ローマ法王と天皇の関係に整合性がつかなくなる。

それぞれなるほどと思わせるものがあるが、しかし日本人がキリスト教を受け入れない根本的な理由に触れていないように思われてならない。たとえば①については、現代日本では先祖崇拝が江戸時代以前よりは薄れていると思われるが、それに伴ってキリスト教徒が増加しているわけではない。相変わらず1%を切る低い水準である。これが説明できない。また日本より儒教的な先祖崇拝が強いと思われる韓国ではキリスト教徒ははるかに多い。

②について。キリスト教が他宗教を認めず排除する傾向は、日本以外のどの地域でも同じであったはずだ。なぜ日本だけが受け入れなかったのか。日本人の宗教観とうまく折り合わなかったのは事実だろうが、それはどのような宗教観であり、それがキリスト教を受容しない理由になるのは何故なのか。こうした根本的な問題については何も答えていない。

③について。これは豊臣秀吉から徳川時代初期の歴史的な事情としては正しいであろう。しかしこれも、現代の日本で相変わらずキリスト教徒が少ないことの根本的な説明とはならない。

させ、上の主な理由の他に著者はこんなことも言っている。キリスト教には、父なる神と、その子・イエスと、精霊の三位一体説がある。イエスの母・マリアはカトリックでは大事にされるが、プロテスタントではマリア信仰は認めない。いずれにせよキリスト教の中心にあるのは、「厳しい父なるもの」であり、これに対し「優しいお母さん」が、日本人の精神世界の中心をなしている。だから子供が聖書を読んでも違和感を覚えるのではないか、と。

私にはこれが、日本人がキリスト教を受け入れない根本的な理由に関係しているのではないかと思われる。これまでこのブログで何度も指摘してきたような日本文化の「母性原理」が一神教的な「父性原理」と相容れないのだ。これは、価値観の相対手主義と絶対主義の違いともいえるだろう。すべてを受容する母性原理と、絶対的な原理に合わないものを排除する父性原理と。

以前このブログで書いた、日本にキリスト教が広まらなかった(現在も広まらない)要因を、「母性原理」という観点を加えながら再び紹介しよう。

(1)現代日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、多神教的な(全体として強力に母性原理的な)傾向が、無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教など(父性原理の強い)一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。多神教的な相対主義を破壊するような一神教的な絶対主義が受け入れがたい。

(2)キリスト教は、遊牧民的・牧畜民的な文化背景を強くにじませ、それに関係するたとえが多用される。牧畜文化を知らない日本人にとって根本的に肌に合わない。絶対的な唯一神とその僕としての人間という(父子関係をモデルとする)発想、そして人間と動物とを厳しく区別する発想の宗教が、(母なる自然や大地を崇拝し、人間と他の生物の区別が曖昧な)縄文的・自然崇拝的心性には合わない。

(3)ユーラシア大陸の諸民族は、悲惨な虐殺を伴う対立・抗争を繰り返してきたが、それは宗教やイデオロギーの対立・抗争でもあった。その中で、強固な宗教による一元支配(父性原理・絶対主義)が統治や防衛上も必要になった。キリスト教、イスラム教、儒教などは多少ともそのような背景から生じ、社会がそのような宗教によって律せられることで「文明化」が進んだ。

しかし、日本はその地理的な条件から、異民族との激しい対立・抗争にも巻き込まれず、強固なイデオロギーによって社会を一元的に律する必要もなかった。したがって、日本文化には農耕・牧畜文明以以前の自然崇拝的な心性(母性原理・相対主義)が、圧殺されずに色濃く残る結果となった(神仏習合など)。

私たちが自覚していると否とにかかわらず、日本の文化には母性原理的・相対主義的な成り立ちや仕組みがあって、それと根本的に相容れないものは、受け入れてことなかった。キリスト教はそのようなものの一つであったのだろう。

《関連記事》
母性原理が優位な日本文化という見方の詳細は、以下の記事を参照されたい。
太古の母性原理を残す国:母性社会日本01
これまでこのブログで行った「なぜ日本にキリスト教が広まらないか」についての記事については、
★「キリスト教が広まらない日本」というカテゴリーを設けている。

日本がキリスト教を受け入れないのはなぜ?

「日本になぜキリスト教が広まらないのか」という問いにまともに取り組んだ本はほとんどないのではないか。しかし、このブログでこのテーマを扱った記事へのアクセス状況から判断すると、この問への日本人の関心はかなり強い。関心が強いのにこのテーマを扱う本が少ないのも不思議だ。調べてみると、一冊そのものずばりのタイトルの本が見つかった。以下の本だ。

◆『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか―近代日本とキリスト教』(古屋安男)

読んで見ると、キリスト教プロテスタントの牧師の立場から、近代日本とキリスト教の関係の様々な問題を扱った講演集で、その中の一章「日本とキリスト教」が、タイトルにあるような問題を論じている。キリスト教の牧師の立場から、つまり信仰と布教という関心からこの問題を扱っているわけだが、やはりその立場上、日本での布教活動の何が問題だったのかという関心に終始し、深い文化論的な視点からの考察はない。その意味ではあまり参考にはならないが、しかし、布教上の問題しか視野に入らず、日本文化の本質に迫るような視点がないことを明らかにすることで、私がこれまで考察してきたような文化論的な視点の重要さが浮かび上がるのではないかと思った。

日本のキリスト教徒が総人口のおよそ1%ということはかなり知られ事実だが、この割合は韓国に比べてはるかに小さく、共産主義の国といわれる中国よりも少ない。韓国は30%以上がキリスト教徒と言われ、中国も総人口の5%がキリスト教徒と推定されるという。

著者は、日本のキリスト教徒はなぜこうも増えなかったのかという問いに、明治以降の日本でのキリスト教受容のあり方から答えようとする。日本での最初のプロテスタント・キリスト教徒の多くは、佐幕派の武士階級であった。佐幕派であったため立身出世の夢を断ち切られた若者たちが、キリスト教の精神での日本の近代化を志したのだという。ピューリタンの精神が武士階級の人々にとって共感しやすい一面があったのも、この階級の人々に最初に広まった一因かもしれない。

そして武士階級が最初の信者だったことが、その後のキリスト教の伝道の不振を招いたのではないかと著者はいう。教会は、武士階級を中心とした特権階級が集まるところとなり、庶民には敷居の高いところとなってしまった。韓国や中国では、まず大衆階級に入り、そこから中層、上層の階級にも広がった。ところが日本では、最初の信者の多くが武士階級であったため、上層にも下層にも広がらなかったというのだ。

しかし、最初に武士階級に広がったとしても、日本の庶民にも訴える力がキリスト教そのものにあれば、最初の受け入れ階級が何であれ、その障壁を超えて広がっていくはずだから、この理由は問題の本質を突いているとは思えない。

もう一つ著者が挙げている理由は、多くの人が指摘している日本の「天皇制」だ。天皇制があるかぎり、キリスト教は広がらないというのだ。天皇制が、日本でのキリスト教の布教にとって最大の障害だと言われることは、著者自身、否定できないという。「真の神を知らないから天皇を『神』にする」のだと著者はいう。まるでキリスト教の唯一絶対神と天皇とを対立するものであるかのように捉えているが、これはあまりに単純かつ表面的な見方だ。天皇を唯一絶対神のように崇める日本人がどれだけいるだろうか。むしろ天皇は、日本人の相対主義的な考え方の中に位置づけられてきたし、今もそうであろう。天皇の存在に象徴されるような日本文化全体の相対主義的なあり方こそが、キリスト教を受け入れない背景にあるのだ。

一方で著者は、日本の教会がもっと大衆的になれば日本にも信者は増えると希望的な観測をしている。日本では、キリスト教が武士階級をを中心とした知識階級にまずは入り、知識階級の宗教という性格を脱することができなかった。韓国や中国は大衆階級から上層部にも広がった。日本のキリスト教も教会が大衆的になることで、変化していくだろうというのだ。

日本にキリスト教が広まらない理由として、以上のような捉え方はきまめて表面的で、日本文化の本質への洞察が全く欠けているいることは、このブログの読者ならすぐに気づくだろう。

たとえば昨日アップした「キリシタンはキリスト教をどう変えたか」でも、遠藤周作の『切支丹時代―殉教と棄教の歴史 』に触れ、かくれキリシタンの信仰が、聖母マリア中心の母性イメージの信仰に変質してしまうことに触れた。これは、逆に言えば日本にキリスト教が広まらないことの本質的な理由を暗示している。つまり、あまりに父性的性格の強い唯一絶対神を信仰するキリスト教は、日本人の体質に合わないのだ。

それは、縄文時代の太古から日本文化を育んできだ土壌が、きわめて母性的な性格の強いものだからではないか。そのような土壌が、唯一絶対の父なる神を信じるキリスト教に対して拒否反応を起こさせるのだ。日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、多神教的な(全体として強力に母性原理的な)傾向が、無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教など(父性原理の強い)一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。多神教的な相対主義を破壊するような一神教的な絶対主義が受け入れがたい。
詳しくは、このブログのカテゴリー「キリスト教を拒否する日本」を参照されたい。

ともあれ、プロテスタントの牧師という立場からこの問題を探ろうとしても、日本文化の根元に横たわる理由にまで思い至らないのは、無理からぬことかかも知れない。根本的な理由に目を向けてしまたら、キリスト教の布教者としては絶望するほかないからだ。

《関連図書》
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なぜ日本はキリスト教を拒否する(2):縄文からの伝統

前回に引き続き、宗教学者の島田裕巳氏の「キリスト教が日本で広まらなかった理由」というウェッブ上の論文をもとに、この問題を考える。日本にキリスト教が広がらないのは、家族親族のつながりや冠婚葬祭の関係で、キリスト教の信仰をもつことが邪魔になる場合が多いからではないかと島田氏は指摘する。つまり「家」の問題こそが日本にキリスト教が広まらない大きな理由かもしれないというのだ。(同様の指摘は『日本人の人生観 (講談社学術文庫)』の中で、山本七平氏も行っているので参照されたい。101頁以降)

しかし前回の最後に触れたように、私にはこれが、日本にキリスト教が広がらなかった根底に関わるいちばん大きな理由とは思えない。たとえば、韓国の場合を例にとろう。韓国の場合にも宗族と呼ばれる一族とのつながりの問題や冠婚葬祭に関わる問題も当然あっただろう。またいきなりキリスト教徒が30%を占めるようになったわけではなく、圧倒的な少数派であった状態から始まったのだから、条件は日本とあまり変わらなかったはずである。ではなぜ韓国ではキリスト教が広まり、日本ではそうではなかったのか。そうなった日本独自の理由こそが明らかにされるべきなのだ。(韓国のキリスト教との比較についてはいずれ触れてみたい。)

次に島田氏が、「キリスト教が日本で広まらなかった理由」として挙げるのは神道と仏教の存在である。東南アジアのなかで唯一のキリスト教国がフィリピンであり、ここにキリスト教が伝えられたのは日本と同じ十六世紀だという。しかも現代、この国のキリスト教徒の割合は9割を越え、大半がカトリックである。

同時期に伝わりながら、二つの国で対照的な広まり方になったのは、フィリピンには、インドのヒンズー教や中国経由の仏教などの影響をほとんど受けなかったことが影響しているという。日本では仏教や神道がキリスト教を阻む壁になっただが、フィリピンにはそのような壁がなかったというのだ。

しかしこの理由もあまり説得力を持つとは思えない。先ほど例に出した韓国の場合も、大陸から儒教も仏教も伝わっているが、キリスト教徒の割合は日本よりはるかに多い。儒教や道教や仏教など大陸の宗教の影響が圧倒的である台湾でさえ、キリスト教徒の割合は4.5%であるという。日本の1%以下という数字はやはり際立って少なく、島田氏が挙げる理由のいずれも、この特異性の根本的な説明にはなっていないと思う。

ではその根本的な理由とは何なのか。私は、このブログで追求し続けている「日本文化のユニークさ8項目」のほとんどが、相互に関連し合いながらその理由になっていると思う。8項目とは以下のようなものであるが、ここでは、それぞれの項目がなぜキリスト教が広まらない理由になっているのかについてごく手短に触れるにとどめたい。今後、項目ごとに本格的に論じたいと思う。また、これまでにもこのブログ内の項目に沿ったカテゴリー内で折に触れて論じているので興味があれば参照されたい。

(1)「漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。」
一万数千年続いた縄文時代は、磨製石器や土器を使用しながら本格的な農業は営まないという、世界史的にもきわめてユニークな時代であった。それだけ自然に恵まれ自然に依存し、自然と一体化した時代の記憶が日本人の心性の根底にあり、その心性こそが砂漠や遊牧を基盤として生まれた一神教を拒絶するのである。

(2)「ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。」
世界史にもまれな特異な形での長い縄文時代とそれに続く稲作の時代は、母なる自然の恵みへの思いを基盤とした母性原理の宗教と文化を形作った。それが、砂漠や荒野を中心とした厳しい自然の中で生まれた父性原理の宗教への違和感を生むのである。

(3)「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。」
ユーラシア大陸の大部分は、穀物と同時に牧畜や遊牧に深く根ざした文化を形成した。食用に家畜を育て、管理し、食べることが人間の食生活の重要部分をなすのだ。聖書を少し読めば、神と人との関係を人の家畜との関係に例えて語ることがいかに多いかがわかるだろう。本格的な牧畜を知らなかった日本人には、キリスト教を含む一神教のそうした発想が肌に合わないのだ。

(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。」
アジア・アフリカ・南北アメリカの多くの地域は、多少ともヨーロッパの植民地支配を受け、その地域に深く根ざした言語や文化が時には根絶やしにされ、歪められ、あるいは片隅に追いやられたケースも多い。またヨーロッパでも農耕以前の文明が継承されたケースは少ない。日本の場合は、その地理的な幸運もあって、縄文時代以来の母性原理に根ざした文化や言語が現代にまで多かれ少なかれ継承されている。

(5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」
良い面だけをひたすら吸収できたと同時に、自分たちの文化的伝統に合わないものは選ばないという選択の自由があったのである。だからこそキリスト教をはじめとする一神教は選ばれなかった。植民地支配を受けた国(たとえばフィリピン)では、支配者の宗教が現地の人々に与える影響は、植民地支配を受けなかった国に比べはるかに大きいであろう。

(6)「森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。」
この項目の前半(豊かな自然の恩恵)部分は、(2)の項目で述べたことと重なるので繰り返さない。後半部分は今回のテーマとの関係が薄いのでここでは触れない。

(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。」
「以上の理由」の中でいちばん大きいのは「異民族により侵略、征服された体験」がないことであろう。異民族の侵略に出会えば防衛上、異民族の宗教よりも自分たちの宗教の方が優れていることを示すため、その理論化や体系化を強いられる。キリスト教国家による侵略の危険に晒されれば、自分たちの宗教もそれに対抗しうる理論化を果たさなければならない。日本人にはその必要がなく、ただ肌に合わないからと拒否すれば済んだのである。

(8)「西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。」
その理由こそが、これまでにかんたんに説明した「日本文化のユニークさ」の各項目だったのである。

以上の説明は、各項目に添ってごくかんたんに述べたものに過ぎない。説明はきわめて不十分なものなので、いずれ一項目ごとに本格的に、キリスト教が広まらなかった理由との関係で論じてみたい。

《関連図書》
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見

なぜ日本はキリスト教を拒否する(1):「家」の壁?

日本にキリスト教が広まらなかった理由をテーマとして扱った本を私はほとんど知らない。一冊だけ『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか―近代日本とキリスト教』(古屋安男)というタイトルの本があり、このブログでも取り上げた(★日本がキリスト教を受け入れないのはなぜ?)が、本の一章がこのテーマを扱うのみで、しかも牧師としての布教の立場から表面的に考察しているに過ぎない。

ウェッブ上では、宗教学者の島田裕巳氏が「キリスト教が日本で広まらなかった理由」というタイトルで論じているが、それほど長い論文ではない。今回は、この論文に触れつつ考えたい。

島田氏は、「日本のキリスト教徒はカトリックとプロテスタントを合わせても百万人程度で、人口の1%にも満たない」という事実にまず触れる。イスラム教となれば、日本人の信者は一万人程度で、要するに、世界に一神教を信じる人間がこれほど少ない国はほかになく、
「日本は一神教が浸透しなかった最大の国」であると指摘する。

しかも、キリスト教系の知識人・文学者が、曽野綾子氏などを除くとほとんどいなくなった。一時は一つの文学ジャンルを形成していたキリスト教文学はほぼ消滅しつつある。キリスト教は、「日本で信者を増やせなかったばかりか、知的な世界における影響力さえ失いつつある」という。

その上で島田氏は、「なぜこれほどまでにキリスト教は日本で受け入れられなかったのか。日本のキリスト教史を考える上で、それはもっとも重要な疑問であり、課題である」という。確かにそうなのだが、私はこの問いが、日本のキリスト教史の課題に限られるものとはとても思えない。「日本とは何か」という問の根本にかかわるものだと思う。日本文化の独自性とは何かという根幹にかかわる問いなのだ。

現在の世界ではいま、経済発展の著しい国を中心にプロテスタントの福音派が信者を増やしているという。キリスト教徒が30%を占めるようになった韓国でもそうだし、中国でささえ、地下教会という形で福音派が伸びているというのだ。

ところが日本では、経済発展が目覚しかった戦後その勢力を拡大したのは、創価学会や立正佼成会など、日蓮系の新宗教だった。創価学会は、経済発展が続く国々で福音派が果たしていることと同じことをやっていった。これでは福音派が日本に入り込む余地はない。つまり日蓮系の新宗教の活躍こそが、戦後も日本にキリスト教が拡大しなかったひとつの理由だと考えているようだ。

ただ、なぜか日本にはミッション・スクールの数が多い。宗教を背景とした学校849校中、565校がキリスト教系で、全体の66.5パーセントを占めるという。しかもカトリック系の学校を中心に熱心に宗教教育が行われており、学生・生徒に礼拝への参加を義務づけているところもあるという。しかし、生徒が洗礼を受けてキリスト教徒になる例はそれほど多くはない。つまり布教には成功していないのである。
 
それはなぜか。ミッション・スクールに子どもを通わせる親は、キリスト教の信者でないことが多い。そもそも信者数が少ないからだ。つまり卒業生の多くは、家族や親族のなかにキリスト教の信者がいない。しかもミッション・スクールに子どもを行かせる家は、家族親族のつながりが強く、冠婚葬祭の機会も多い。その関係で、キリスト教の信仰をもつことが邪魔になる場合も多く出てくる。それで信者が増えていかないのかもしれないと島田氏は指摘する。

この「家」の問題こそが日本にキリスト教が広まらない大きな理由かもしれないと島田氏は考えているようだ。「明治以降、キリスト教に入信するというときに、入信者の多くは若い世代であり、彼らは、自らは信仰を得ても、それを家族にまで伝えていくということができなかった。」彼らもやがて家庭をもち、冠婚葬祭かかわれば、キリスト教は邪魔になる。「日本人の宗教が、家を単位としてきたことが、キリスト教の拡大を妨げる大きな要因になっていた面がある」と島田氏はいう。

これは確かに重要な指摘だと思う。しかし、これとても日本文化の根底に横たわる独自性まで触れた説明になっていない。私は、日本にキリスト教が広まらない理由は、このブログのテーマである「日本文化のユニークさ8項目」のほとんどにかかわる問題だと思う。島田氏は、もうひとつの理由として神道や仏教との関係を挙げているが、この問題も含めて、次回にさらに突っ込んで考えてみたい。

《関連記事》
これまでこのブログで行った「なぜ日本にキリスト教が広まらないか」についての記事については、
★「キリスト教が広まらない日本」というカテゴリーを設けている。