現代に生きる私たち日本人の中に生きる縄文の記憶とは何なのか。大きく分けて、それは自然信仰と平等意識と母性原理の文化の三点ではないかと指摘した。ここではそのうち自然信仰について見ていく。
縄文中期の土器は、生々しい活力に満ちた蛇のごとき造形で注目される。縄文土器の縄文そのものが蛇に関係していたかも知れない。遮光器土偶の蛇のような眼も、縄文人の蛇信仰が呪術にとって大切な意味をもっていたこと関係があるかもしれない。土偶に蛇の眼を与えることで、死者の再生を願ったのではないか。
現代日本人にとっても山は信仰の対象となるが、縄文人にとっての山は、その下にあるすべての命を育む源として強烈な信仰の対象であっただろう。山は生命そのものであったが、その生命力においてしばしば重ね合わされたイメージがおそらく大蛇、オロチであった。ヤマタノオロチも、体表にヒノキや杉が茂るなど山のイメージと重ね合わせられる。オロチそのものが峰神の意味をもつという。蛇体信仰はやがて巨木信仰へと移行する。山という大生命体が一本の樹木へと凝縮される。山の巨木(オロチの化身)を切り、麓に突き立て、オロチの生命力を周囲に注ぐ。そのような巨木信仰を残すのが諏訪神社の御柱祭ではないか。いくつかの地域の祭りに見られる、蛇にみたてた綱の綱引きなども縄文時代以来の蛇信仰の名残りだろう。私たちの心は縄文人の心にどこかでつながっているのだ。これは日本文化を考えるうえできわめて重要なことだ。(町田鳳宗『山の霊力 (講談社選書メチエ)』)
現代日本人にとっても山は信仰の対象となるが、縄文人にとっての山は、その下にあるすべての命を育む源として強烈な信仰の対象であっただろう。山は生命そのものであったが、その生命力においてしばしば重ね合わされたイメージがおそらく大蛇、オロチであった。ヤマタノオロチも、体表にヒノキや杉が茂るなど山のイメージと重ね合わせられる。オロチそのものが峰神の意味をもつという。蛇体信仰はやがて巨木信仰へと移行する。山という大生命体が一本の樹木へと凝縮される。山の巨木(オロチの化身)を切り、麓に突き立て、オロチの生命力を周囲に注ぐ。そのような巨木信仰を残すのが諏訪神社の御柱祭ではないか。いくつかの地域の祭りに見られる、蛇にみたてた綱の綱引きなども縄文時代以来の蛇信仰の名残りだろう。私たちの心は縄文人の心にどこかでつながっているのだ。これは日本文化を考えるうえできわめて重要なことだ。(町田鳳宗『山の霊力 (講談社選書メチエ)』)
ところで蛇信仰は日本だけに見られるのではない。蛇とかかわりの深いメソポタミアのイシュタル女神は、死と再生、大地の豊穣性をつかさどる祭祀にかかわりをもっていた。地中海沿岸も、かつては蛇信仰の中心であった。ギリシアの聖地デルフォイには、黄金の三匹のからまりあう大蛇が聖杯を捧げている彫刻があった。アテネのパルテノン神殿には、人間の頭をもった三匹の蛇がからみあった彫刻がある。この他にも蛇が表現された遺跡は多く、古代地中海の人々と日本の縄文人とは、蛇によって象徴される何かしら共通した世界観をもっていたのである。
ところが、森が消滅した現代のギリシアでは、夏の岩肌に蛇はめったに見られない。森が消えるとともに蛇も姿を消し、森のこころは永遠に失われてしまったのである。これに対して日本列島は、多様な森の環境が長く維持され、そのなかで育まれたアニミズムや自然信仰、あるいは多神教的な神々を維持する条件に恵まれていたのである。