2017年3月19日日曜日

キリスト教を軸に対照的なユダヤ人と日本人

すでに前回に述べたことからも「日本文化のユニークさ」残りの項目との関連がある程度見えてくると思う。ここではまず、関連がいちばんはっきりしている8項目目から考えていこう。

 (8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

ユダヤ民族と日本民族とは、キリスト教との関係においても地球上の他の民族に比べ、両極端に位置して好対照をなしているのである。ユダヤ教徒は、キリスト教を生み出す母胎となる一神教を形成し、信じながら、そのためもあってキリスト教徒にもっとも迫害され、一方日本人は、キリスト教徒に植民地化されなかった数少ない民族の一つである。そして一神教にもっとも無縁な民族である。

なぜユダヤ教徒はキリスト教徒に迫害されたのか。岸田秀は『一神教vs多神教』のなかで次のようにいう。一般に被害者は、自分を加害者と同一視して加害者に転じ、その被害をより弱い者に移譲しようとする(攻撃者との同一視のメカニズム)。そうすることで被害者であったことの劣等感、屈辱感を補償しようする。自分の不幸が我慢ならなくて、他人を同じように不幸にして自分を慰める。 多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し付けられて、心の奥底で「不幸」を感じた。だから一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に世界の諸民族を巻き込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動パターンだったのではないか。その行動パターンは、新大陸での先住民へのすさまじい攻撃と迫害などに典型的に現われている。

西欧人がユダヤ人を差別するのは、西欧人がローマ帝国によってキリスト教を押し付けられ、元来の民族宗教を捨てさせられ、元来の神々を悪魔とされたところに起源がある。そこで本来ならローマ帝国とキリスト教に向くはずの恨みが、転移のメカニズムによって、強者とつながりのある弱者に向かう。強者に攻撃を向けることは危険だからである。ローマ帝国や、自分たちがどっぷりつかっているキリスト教を攻撃できず、キリスト教の母胎となってユダヤ教を攻撃するのである。つまり反ユダヤ主義は、深層においては反キリスト主義であるという。

影の現象学 (講談社学術文庫)』において河合隼雄はいう、ナチスドイツは、すべてをユダヤ人の悪のせいであるとすることによって、自分たちの集団のまとまり、統一性を高めた。集団の影の面をすべて、いけにえの羊に押し付け、自分たちはあくまで正しい人間として行動する、と。ユングは、ナチスの動きをキリスト文明においてあまりに抑圧された北欧神話の神オーディンの顕現と見ていた。本能の抑制を徳とするキリスト教への、影の反逆であると理解したのである。

ルイス・スナイダーの『アドルフ・ヒトラー (角川文庫 白)』(角川文庫)では、ヒトラーの反キリスト教的な考え方について述べている。「彼はキリスト教を、ドイツ人の純粋な民族文化とは無縁な異質の思想として排斥した。『キリスト教と梅毒を知らなかった古代の方が、現代よりもよき時代だった』とヒトラーは述べている。」 一部のナチ党指導者たちは、キリスト教を完全に否認した。そのかわり、彼らは「血と民族と土地」を崇拝する異教的宗派の樹立を望んだ。新しい異教徒たちは、オーディン、トールをはじめとするキリスト以前の古代チュートン人の神々を復活させた。旧約聖書のかわりに北欧神話やおとぎ話を採用した。そして新しい三位一体――勇気、忠誠、体力を作り出した。

岸田は、「反ユダヤ主義は、深層においては反キリスト主義である」と述べたが、ヒトラーおよびナチにおいては、深層においてどころか声高に反キリスト主義が叫ばれていたのである。西欧の反ユダヤ主義の深層には、確かに自らの文化の中核をなすに到ったキリスト教への反感があり、それが、ナチズムのような「退行」的な現象においては、はっきりと表面に出てくると言えるのかもしれない。

ともあれキリスト教を基盤とした西欧文明は、近代以降の世界史の中心にあった。その西欧文明の軸の両極端にユダヤ人と日本人がいる。ユダヤ教なくしてキリスト教は生まれなかった。ユダヤ教の一神教の精神は、西欧文明の本質的な部分に影響を与えている。しかも、何度も繰り返された迫害にもかかわらず、西欧文明の発達に決定的な影響を与えたユダヤ人が多数いる。マルクス、フロイト、アインシュタイン、それ以前にも名前を挙げればきりがない。資本主義の誕生の一要素となった金融の発達も、ユダヤ人を抜きにしては語れない。ユダヤ教徒は、キリスト教徒に憎まれ、迫害されながらも、西欧キリスト教文明の発達に大きな役割を果たしたのである。

一方日本人は、近代以前、キリスト教、いや一神教そのものの影響からもっとも遠いところにいた。一神教は、遊牧や牧畜と深く関係するが、遊牧・牧畜文化ともっとも無縁だったのが日本民族だった。宦官は家畜の去勢技術と深いかかわりがあり、宦官はユーラシア大陸の各地に存在するが、日本には存在しなかった。インドは、イスラム教の王朝(ムガル帝国)が存在したし、イスラム教は東南アジアのインドネシアにまで進出した。

日本にはもちろんイスラム教は侵入しなかったし、キリスト教国に植民地化された経験もない。にもかかわらず日本は、明治維新以降、西欧文明の、キリスト教という中核を抜きにした成果の部分だけをうまく取り入れ、いちはやく近代化に成功して、世界史の舞台に躍り出ていくのである。そして近代以降の西欧文明に対して脅威を与える、最初の非西欧文明(非キリスト教文明)になっていく。

このようにユダヤ民族と日本民族は、キリスト教文明を軸にすると、まさに正反対の場所に位置する。しかし、一方は迫害されながらもその内部に本質的な影響を与え、他方はそのもっとも遠い外縁にいながら、やがて大きな脅威と影響を与える存在になっていた。両極にありながら、西欧文明に与えたインパクトという面では、どこかに通じるものがあるのではないか。


《関連図書》
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)

迫害の歴史の中で生まれたユダヤ教

日本人とユダヤ人を比較するとき、日本人、日本文化のユニークさはさらに際立つ。最近ますますそう感じるようになっている。まず、その歴史的な歩みがあまりに対照的である。それぞれの宗教のあり方も、両極をなすといってよいほどに違う。だからこそユダヤ教を基盤としてその内部から派生したきキリスト教も、その異質さ故に日本に受け入れられなかったのだとも言える。一方、そのように両極的なふたつの民族が、人類の歴史上に占める意味は、両極端であるがゆえに意外と近しいものを持っているのかもしれない。

日本人とユダヤ人を比較した本としては、イザヤ・ベンダサン(山本七平)の『日本人とユダヤ人 』があまりに有名であるが、ここではこれまで何度も取り上げてきた「日本文化のユニークさ」8項目に沿いながら見ていきたい。

日本人とユダヤ人の違いがもっとも際立つのは、なによりもその歴史だろう。日本人は、歴史上、異民族による侵略、征服、強奪、虐殺などの経験をほとんどしていない。 それは「日本文化のユニークさ」8項目でいえば、(4)項目目にあたる。

(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。」
これに対してユダヤ人の歴史は、言うまでもなく征服され、迫害され、虐殺され等々を繰り返した歴史だった。もちろん大陸の歴史は、ヨーロッパ、アジアを問わず、一般に侵略と征服の繰り返しであったが、日本は、渡航に困難を伴う海峡によって隔てられた島国だったため、大陸に共通する侵略の歴史から免れた。一方ユダヤ民族は、厳しい大陸の歴史の中でも、もっとも過酷に征服、集団捕囚、迫害、虐殺などを味わい尽くした。

日本人は、日本列島という地理的な条件によってごく自然に、共通の言語や文化をもつ日本人という自覚と日本という国のまとまりと存在を感じることができる。これに対してユダヤ民族は、民族の成立の当初から、民族がおい育った大地、国土というものを持っていなかった。しかもユダヤ人は、ユダヤ戦争(紀元66~73)などによって国土を失い、世界に離散していく(ディアスポラ)。

一般に国土を失い、離散した民族は、年月が経つにつれその移動先の宗教に改宗したり、文化に融合したりして、民族としてのアイデンティティを失っていくが、ユダヤ民族はユダヤ教を失わず、民族としての独自性を失わなかった。

まとめれば、ユダヤ民族は、異民族相互の争いが激しい大陸の歴史のなかでもずば抜けて過酷な歴史をもつ。日本人はそのような異民族間の争いをほとんど知らない。さらにユダヤ人は、自分たちの安住の地としての国土を二千年の長きにわたって失うという歴史をもつ。日本人は、日本列島という自然の境界線によって守られた国土に、だれに追われることもなく安住し続けることができた。

ユダヤ人は、民族のアイデンティティを保つためにユダヤ教という強力な観念を必要とした。日本人は、大陸から海で隔てられた列島に何らかの文化的まとまりをもって住んでいるという事実によって、ほとんど無自覚に(無観念に)日本人としてのアイデンティティを保つことができる。

一方日本人は、移住したりして二世、三世の代になると日本文化や日本人への同一化を失う度合が他の民族(たとえば中国人や韓国人)に比べるとはるかに早いという。日本人としてのアイデンティティが、地理的な条件に基礎を置くもので、観念によって人為的に保つものでないから、日本という国土を離れると失われるのも早いということだろう。この点でも、二千年の長きにわたって異郷の地で自民族のアイデンティティを失わないユダヤ民族とは好対照である。

ともあれユダヤ人は、そのもっとも過酷な迫害の歴史の中で、いや迫害の歴史があったからこそ、一神教を生み出していく。そしてユダヤ教という一神教からキリスト教が生まれ、その後の人類の歴史を大きく規定していく。

一方日本人は、その一神教から地理的にも文化的にももっとも遠いところで独自の文化を育んでいった。それゆえ一神教がもっともなじまない民族とも言えるのだが、にもかかわらず非キリスト教文明圏でもっとも早く近代化を成し遂げた。そこに世界史上でのユニークな、しかし重大な日本の位置がある。

《関連図書》
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)

2017年3月18日土曜日

絶対的理念への執着が薄い日本人

(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。」

「以上の理由」の中でいちばん大きいのは「異民族により侵略、征服された体験」がないことであろう。異民族の侵略に出会えば防衛上、異民族の宗教よりも自分たちの宗教の方が優れていることを示すため、その理論化や体系化を強いられる。キリスト教国家による侵略の危険に晒されれば、自分たちの宗教もそれに対抗しうる理論化を果たさなければならない。日本人にはその必要がなく、ただ肌に合わないからと拒否すれば済んだのである。

狩猟採集や小規模な農業によって成立する社会は、自然とのかかわりや部族の社会がそれなりに調和していた。それが異民族の侵入や戦争、帝国の成立といった事情の中で崩れ去ると、そこに何らかの秩序を取り戻すために、部族を超えた「普遍宗教」が必要となった。それが一神教であり、あるいは仏教や儒教であった。これらに共通するのは、それぞれの部族が信じていた神々を否定するということであった。

血縁的、地縁的な、小規模な原初的共同体が、自然との共生関係にあるような状態では、呪術や多神教が自然発生的に生まれる。しかし、異民族が侵入したり、多民族の帝国が生まれてくるときは、多神教の自然崇拝や部族特有の習俗にとらわれていたのではやっていけない。民族や部族を超えて妥当性をもつような「普遍宗教」が必要となる。

それまで信じられていた神々を否定し、放逐してしまうという一点で、一神教、仏教、儒教は共通するところがある。それ以前の世界は一度、壊され、そして再建された。再建したのが宗教であり、それが文明を作り、その文明が発展することで今の世界がある。

この本では、ユダヤ教やキリスト教が生まれてくる背景を、仏教や儒教にも共通する広い歴史的な視野から振り返るという文脈で、以上のようなことが数ページほどかんたんに語られていたにすぎない。しかしこの視点は、日本文化のユニークさを語るうえでこのうえなく大切なものだと思う。

狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。それは、日本が大陸から適度に離れた位置にあるため異民族による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたなかったからである。だからこそ、普遍宗教以前の自然崇拝的な心性を、二千年以上の長きにわたって失わずに心のどこかに保ち続けることができたのである。

「普遍宗教」などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかったのは、民族間の熾烈な抗争を経験することなく、大帝国の一部に組み込まれることもなかったからである。

その結果、日本人の心はキリスト教からはもっとも遠くにあり、キリスト教をもっとも理解しにくい位置にある。縄文的な心性は、キリスト教的な一神教を容易に受け入れることはできない。だからこそ、西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

「普遍宗教」以前の心性が今もなお無自覚なレベルで息づいている日本の社会が、近代文明をを学び受け入れた優等生でもあったという歴史の皮肉。そこに日本文化のユニークさとクールさの源泉がある。マンガやアニメに夢中になる世界中の人々は、たとえ無自覚にせよ、日本文化のこのパラドックスに夢中になっているのだ。

《関連図書》
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見

異民族間の激しい抗争の中で生まれた一神教は日本人の肌に合わない

(3)「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。」

ユーラシア大陸の大部分は、穀物と同時に牧畜や遊牧に深く根ざした文化を形成した。食用に家畜を育て、管理し、食べることが人間の食生活の重要部分をなすのだ。聖書を少し読めば、神と人との関係を人の家畜との関係に例えて語ることがいかに多いかがわかるだろう。本格的な牧畜を知らなかった日本人には、キリスト教を含む一神教のそうした発想が肌に合わないのだ。

キリスト教は、遊牧民的ないし牧畜民的な文化背景を強くにじませた宗教であり、牧畜文化を知らない日本人にとっては、根本的に肌に合わない。絶対的な唯一神とその僕としての人間という発想、そして人間と動物とを厳しく区別する発想の宗教が、縄文的・自然崇拝的心性には合わない。

一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。


(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。」

 宗教を考える場合、多神教と一神教という対立軸もあるが、古代には一神教のほかにもほぼ同時期にさまざまな宗教が興っている。インドでは仏教、中国では儒教など。これらには共通点があり、それまでの伝統社会の多神教とは対立している。伝統社会の多神教は、日本では縄文時代の信仰や神道のようなもので、大規模農業が発展する以前の小規模な農業社会か、狩猟採集社会の、自然との調和の中に生きる素朴な信仰である。

日本社会では、先進国のなかでは唯一、そんな素朴な信仰が人々の心の無自覚な層にかなり色濃く残っている。もちろんこれは日本文化のユニークさの(1)に対応する。だからこそ、キリスト教からはいちばん遠いし、キリスト教が分からない度合いもいちばん高いのだ。

キリスト教と同じ一神教であるイスラム教は、キリスト教との距離が近い。では中国文明はどうか。儒教のような中華帝国を成り立たせた観念は、キリスト教とはまったく別のものではある。しかし、日本の伝統的な生活態度や常識と比べれば、着想の基本的な部分でキリスト教と似たものをもっているという。

 日本以外のほとんどの場所(ユーラシア大陸のほどんどの文明)では、異民族の侵入や戦争や、帝国の成立といった大きな変化が起こり、自然と素朴に調和した社会は、あとかたもなく破壊されてしまう。その破壊の後に、ユダヤ教やキリスト教、仏教、儒教といった「普遍宗教」が生まれてくる。そういう「宗教」が生まれてくる社会的な背景が、日本にはなかった。日本は、それほどに幸運な地理的な環境に恵まれていたのだ。これが日本文化のユニークさ5項目でいえば、(3)と(4)に当たるわけだ。

近代社会の根拠となっている西洋文明の根底にはキリスト教がある。近代化とは、西洋から、キリスト教に由来するさまざまな理念や制度を、西洋以外の国々が受け入れる過程でもあった。ところが、日本という国は、非西欧社会でいちばん早く近代化に成功したにもかかわらず、近代化の根元にあるキリスト教からいちばん遠い文明なのだ。キリスト教を「わかっていない度合い」がいちばん高いのである。

日本文化のユニークさは、キリスト教からいちばんかけ離れているにもかかわらず、いちばんはやく近代化したところにこそあると思われる。しかもこの事実は、そもそも文明とは何かを考えるうえで決定的に重要なことなのだ。そのような日本文化のユニークさ自体が、文明とは何だったのかという問いを私たちに突きつけてくるのだ。


 (5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」

一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。

ユーラシア大陸の諸民族は、悲惨な虐殺を伴う対立・抗争を繰り返してきたが、それはそれぞれの民族が信奉する宗教やイデオロギーの対立・抗争でもあった。その中で、自民族をも強固な宗教などによる一元支配が防衛上も必要になった。キリスト教、イスラム教、儒教などは多少ともそのような背景から生じ、社会がそのような宗教によって律せされることで「文明化」が進んだ。

しかし、日本はその地理的な条件から、異民族との激しい対立・抗争にも巻き込まれず、強固なイデオロギーによって社会を一元的に律する必要もなかった。だから儒教も仏教も、もちろんキリスト教も、社会を支配する強力なイデオロギーにはならなかった。

したがって、日本文化には農耕・牧畜文明以以前の自然崇拝的な心性が、圧殺されずに色濃く残る結果となった。要するにユーラシア大陸に広がった「文明化」から免れた。ヨーロッパで、キリスト教以前のケルト文化などが、ほとんど抹殺されていったのとは、大きな違いである。

アジア・アフリカ・南北アメリカの多くの地域は、多少ともヨーロッパの植民地支配を受け、その地域に深く根ざした言語や文化が時には根絶やしにされ、歪められ、あるいは片隅に追いやられたケースも多い。またヨーロッパでも農耕以前の文明が継承されたケースは少ない。日本の場合は、その地理的な幸運もあって、縄文時代以来の母性原理に根ざした文化や言語が現代にまで多かれ少なかれ継承されている。

そうした幸運から日本列島の人々は、中国文明や西欧文明の 良い面だけをひたすら吸収できたと同時に、自分たちの文化的伝統に合わないものは選ばないという選択の自由があったのである。だからこそキリスト教をはじめとする一神教は選ばれなかった。植民地支配を受けた国(たとえばフィリピン)では、支配者の宗教が現地の人々に与える影響は、植民地支配を受けなかった国に比べはるかに大きいであろう。

縄文以来の母性原理の文化が父性的な一神教を拒んだ

 (2)「ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。」

世界史にもまれな特異な形での長い縄文時代とそれに続く稲作の時代は、母なる自然の恵みへの思いを基盤とした母性原理の宗教と文化を形作った。それが、砂漠や荒野を中心とした厳しい自然の中で生まれた父性原理の宗教への違和感を生むのである。

縄文文化が基層文化として生き残ったのは、日本が大陸から適度に隔たった島国であるということや、その大半を山岳と森に覆われいたという地理的な条件に負うところも大きいだろう。海で隔てられていたからこそ徐々にしか渡来できなかった。また山と森に覆われていたからこそ、縄文人と弥生人の緩やかな住み分けと共生が一定期間可能であったのである。

こうして縄文的基層文化は、弥生時代になっても消えることなく、銅鐸の文様に縄文的な図形が描かれ、弥生土器にも縄文土器の流れをくむものが見られるのである。

その後大陸から仏教がもたらされるが、仏教は縄文的な基層文化に合うように変形され、受け入れられていくのである。それは、神道と仏教が、それぞれの要素を取り入れながら並存していくという形としても現れた(本地垂迹説など)。仏教に対しても縄文的な基層文化は根づよく生き残ったのである。

ちなみに朝鮮半島では、仏教以前の宗教の痕跡がほとんど残っていないという。ヨーロッパでは、キリスト教以前のケルト文化などが注目されるが、それはほとんどの地域でキリスト教によって圧殺されていったのである。

やがて日本にもキリスト教が伝来する。しかしこの宗教は日本列島にはほとんど定着することができなかった。そのひとつの理由は、この時期に日本がキリスト教国による植民地化を免れたからだろう。つまり暴力的な押しつけができなかった。である以上、キリスト教が日本に広まることは不可能であった。キリスト教は、日本の基層文化にとってあまりに異質なために受け入れ難く、また受け入れやすく変形することも難しかったのである。

キリスト教は、形を自由に変えて受け入れることを拒む強固な原理性をもっている。日本に合うように形を変えてしまえば、それはもはやキリスト教とは言えないのである(正統と異端の問題)。仏教が、原始仏教と大きくかけ離れても仏教でありうるのとは好対照をなしている。

西洋文明は、キリスト教を背景にして強固な男性原理システムを構築した。それはしばしば暴力的な攻撃性をともなって他文化を支配下に置いた。男性原理的なキリスト教に対して縄文的な基層文化は、土偶の表現に象徴されるようにきわめて母性原理的な特質を持っている。その違いが、日本人にキリスト教への直観的に拒否反応を起こさせたのではないか。

 一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。

日本文明は、母性原理を機軸とする太古的な基層文化を生き生きと引き継ぎながら、なおかつ近代化し、高度に産業化したという意味で、文明史的にもきわめて特異な文明なのである。

縄文文化の記憶がキリスト教を拒否する

(1)「漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。」

一万数千年続いた縄文時代は、磨製石器や土器を使用しながら本格的な農業は営まないという、世界史的にもきわめてユニークな時代であった。それだけ自然に恵まれ自然に依存し、自然と一体化した時代の記憶が日本人の心性の根底にあり、その心性こそが砂漠や遊牧を基盤として生まれた一神教を拒絶するのである。

現代日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、アニミズム的、多神教的な傾向が、無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教など一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。
縄文文化は、その後の日本文化の深層としてしっかりと根をおろし、日本人のアニミズム的な宗教感情の基盤となっている。日本人の心に根付く「ソフトアニミズム」は、キリスト教的な人間中心主義とは違い、身近な自然や生物との一体感(愛)を基盤としている。日本にキリスト教が広まらなかったのは、日本人のアニミズム的な心情が聖書の人間中心主義と馴染まなかったからではないのか。

 縄文文化が基層文化として生き残ったのは、日本が大陸から適度に隔たった島国であるということや、その大半を山岳と森に覆われいたという地理的な条件に負うところも大きいだろう。海で隔てられていたからこそ徐々にしか渡来できなかった。また山と森に覆われていたからこそ、縄文人と弥生人の緩やかな住み分けと共生が一定期間可能であったのである。

その後大陸から仏教がもたらされるが、仏教は縄文的な基層文化に合うように変形され、受け入れられていくのである。それは、神道と仏教が、それぞれの要素を取り入れながら並存していくという形としても現れた(本地垂迹説など)。仏教に対しても縄文的な基層文化は根づよく生き残ったのである。

やがて日本にもキリスト教が伝来する。しかしこの宗教は日本列島にはほとんど定着することができなかった。そのひとつの理由は、この時期に日本がキリスト教国による植民地化を免れたからだろう。つまり暴力的な押しつけができなかった。である以上、キリスト教が日本に広まることは不可能であった。キリスト教は、日本の基層文化にとってあまりに異質なために受け入れ難く、また受け入れやすく変形することもキリスト教の厳密な教義からして難しかったのである。

ただし私たちは、縄文的な基層文化が私たちの個々の意識や文化の底流として生き残っていることにほとんど無自覚である。その基層文化が、自分たちに合わないものはフィルターにかけて排除する働きをしていることについても無自覚である。しかし実は、海外から入ってくる「高度な文明」にも強力なフィルターをかけられて取捨選択がなされている。近代文明をこれほど素早く受け入れながら、その根っこにあるキリスト教をみごとにフィルターにかけてしまったというのはその最たる例である。

西洋文明は、キリスト教を背景にして強固な男性原理システムを構築した。それはしばしば暴力的な攻撃性をともなって他文化を支配下に置いた。男性原理的なキリスト教に対して縄文的な基層文化は、土偶の表現に象徴されるようにきわめて母性原理的な特質を持っている。その違いが、日本人にキリスト教への直観的に拒否反応を起こさせたのだともいえよう。

日本人はなぜキリスト教を信じないのか

このブログでは「キリスト教が広まらない日本」というカテゴリーを設けている。なかでも キリスト教を拒否した理由:キリスト教が広まらない日本01   という記事はよく読まれているようだ。前回少し触れた、日本で曹洞禅の住職となったネルケ無方氏は、同じ本に「日本人はなぜキリスト教を信じないのか」という一章を設けて、この問題を語っている(『日本人に「宗教」は要らない (ベスト新書)』)。彼の考えを紹介しよう。その上で私の考え方を振り返ってみたい。ネルケ無方氏の挙げる理由は次の三つである。

①先祖崇拝を基本とする日本社会では、「キリスト教徒になって自分が救われても、先祖が救われないのでは意味がない」と考えられた。

②キリスト教の「一神教」と日本人の宗教観がうまく折り合わなかった。他宗教を認めず排除するキリスト教は、日本人はシンクロできない。

③キリスト教と国家権力とがうまく結びつかなかった。欧米では、ローマ法王が宗教界のトップで、各国の権力者は時に権力争いをしても、基本的に法王を否定しなかった。日本の場合は、キリスト教を導入すると、ローマ法王と天皇の関係に整合性がつかなくなる。

それぞれなるほどと思わせるものがあるが、しかし日本人がキリスト教を受け入れない根本的な理由に触れていないように思われてならない。たとえば①については、現代日本では先祖崇拝が江戸時代以前よりは薄れていると思われるが、それに伴ってキリスト教徒が増加しているわけではない。相変わらず1%を切る低い水準である。これが説明できない。また日本より儒教的な先祖崇拝が強いと思われる韓国ではキリスト教徒ははるかに多い。

②について。キリスト教が他宗教を認めず排除する傾向は、日本以外のどの地域でも同じであったはずだ。なぜ日本だけが受け入れなかったのか。日本人の宗教観とうまく折り合わなかったのは事実だろうが、それはどのような宗教観であり、それがキリスト教を受容しない理由になるのは何故なのか。こうした根本的な問題については何も答えていない。

③について。これは豊臣秀吉から徳川時代初期の歴史的な事情としては正しいであろう。しかしこれも、現代の日本で相変わらずキリスト教徒が少ないことの根本的な説明とはならない。

させ、上の主な理由の他に著者はこんなことも言っている。キリスト教には、父なる神と、その子・イエスと、精霊の三位一体説がある。イエスの母・マリアはカトリックでは大事にされるが、プロテスタントではマリア信仰は認めない。いずれにせよキリスト教の中心にあるのは、「厳しい父なるもの」であり、これに対し「優しいお母さん」が、日本人の精神世界の中心をなしている。だから子供が聖書を読んでも違和感を覚えるのではないか、と。

私にはこれが、日本人がキリスト教を受け入れない根本的な理由に関係しているのではないかと思われる。これまでこのブログで何度も指摘してきたような日本文化の「母性原理」が一神教的な「父性原理」と相容れないのだ。これは、価値観の相対手主義と絶対主義の違いともいえるだろう。すべてを受容する母性原理と、絶対的な原理に合わないものを排除する父性原理と。

以前このブログで書いた、日本にキリスト教が広まらなかった(現在も広まらない)要因を、「母性原理」という観点を加えながら再び紹介しよう。

(1)現代日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、多神教的な(全体として強力に母性原理的な)傾向が、無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教など(父性原理の強い)一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。多神教的な相対主義を破壊するような一神教的な絶対主義が受け入れがたい。

(2)キリスト教は、遊牧民的・牧畜民的な文化背景を強くにじませ、それに関係するたとえが多用される。牧畜文化を知らない日本人にとって根本的に肌に合わない。絶対的な唯一神とその僕としての人間という(父子関係をモデルとする)発想、そして人間と動物とを厳しく区別する発想の宗教が、(母なる自然や大地を崇拝し、人間と他の生物の区別が曖昧な)縄文的・自然崇拝的心性には合わない。

(3)ユーラシア大陸の諸民族は、悲惨な虐殺を伴う対立・抗争を繰り返してきたが、それは宗教やイデオロギーの対立・抗争でもあった。その中で、強固な宗教による一元支配(父性原理・絶対主義)が統治や防衛上も必要になった。キリスト教、イスラム教、儒教などは多少ともそのような背景から生じ、社会がそのような宗教によって律せられることで「文明化」が進んだ。

しかし、日本はその地理的な条件から、異民族との激しい対立・抗争にも巻き込まれず、強固なイデオロギーによって社会を一元的に律する必要もなかった。したがって、日本文化には農耕・牧畜文明以以前の自然崇拝的な心性(母性原理・相対主義)が、圧殺されずに色濃く残る結果となった(神仏習合など)。

私たちが自覚していると否とにかかわらず、日本の文化には母性原理的・相対主義的な成り立ちや仕組みがあって、それと根本的に相容れないものは、受け入れてことなかった。キリスト教はそのようなものの一つであったのだろう。

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母性原理が優位な日本文化という見方の詳細は、以下の記事を参照されたい。
太古の母性原理を残す国:母性社会日本01
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★「キリスト教が広まらない日本」というカテゴリーを設けている。