(3)「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。」
ユーラシア大陸の大部分は、穀物と同時に牧畜や遊牧に深く根ざした文化を形成した。食用に家畜を育て、管理し、食べることが人間の食生活の重要部分をなすのだ。聖書を少し読めば、神と人との関係を人の家畜との関係に例えて語ることがいかに多いかがわかるだろう。本格的な牧畜を知らなかった日本人には、キリスト教を含む一神教のそうした発想が肌に合わないのだ。
キリスト教は、遊牧民的ないし牧畜民的な文化背景を強くにじませた宗教であり、牧畜文化を知らない日本人にとっては、根本的に肌に合わない。絶対的な唯一神とその僕としての人間という発想、そして人間と動物とを厳しく区別する発想の宗教が、縄文的・自然崇拝的心性には合わない。
一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。
(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。」
宗教を考える場合、多神教と一神教という対立軸もあるが、古代には一神教のほかにもほぼ同時期にさまざまな宗教が興っている。インドでは仏教、中国では儒教など。これらには共通点があり、それまでの伝統社会の多神教とは対立している。伝統社会の多神教は、日本では縄文時代の信仰や神道のようなもので、大規模農業が発展する以前の小規模な農業社会か、狩猟採集社会の、自然との調和の中に生きる素朴な信仰である。
日本社会では、先進国のなかでは唯一、そんな素朴な信仰が人々の心の無自覚な層にかなり色濃く残っている。もちろんこれは日本文化のユニークさの(1)に対応する。だからこそ、キリスト教からはいちばん遠いし、キリスト教が分からない度合いもいちばん高いのだ。
キリスト教と同じ一神教であるイスラム教は、キリスト教との距離が近い。では中国文明はどうか。儒教のような中華帝国を成り立たせた観念は、キリスト教とはまったく別のものではある。しかし、日本の伝統的な生活態度や常識と比べれば、着想の基本的な部分でキリスト教と似たものをもっているという。
日本以外のほとんどの場所(ユーラシア大陸のほどんどの文明)では、異民族の侵入や戦争や、帝国の成立といった大きな変化が起こり、自然と素朴に調和した社会は、あとかたもなく破壊されてしまう。その破壊の後に、ユダヤ教やキリスト教、仏教、儒教といった「普遍宗教」が生まれてくる。そういう「宗教」が生まれてくる社会的な背景が、日本にはなかった。日本は、それほどに幸運な地理的な環境に恵まれていたのだ。これが日本文化のユニークさ5項目でいえば、(3)と(4)に当たるわけだ。
近代社会の根拠となっている西洋文明の根底にはキリスト教がある。近代化とは、西洋から、キリスト教に由来するさまざまな理念や制度を、西洋以外の国々が受け入れる過程でもあった。ところが、日本という国は、非西欧社会でいちばん早く近代化に成功したにもかかわらず、近代化の根元にあるキリスト教からいちばん遠い文明なのだ。キリスト教を「わかっていない度合い」がいちばん高いのである。
日本文化のユニークさは、キリスト教からいちばんかけ離れているにもかかわらず、いちばんはやく近代化したところにこそあると思われる。しかもこの事実は、そもそも文明とは何かを考えるうえで決定的に重要なことなのだ。そのような日本文化のユニークさ自体が、文明とは何だったのかという問いを私たちに突きつけてくるのだ。
(5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」
一神教は、砂漠の遊牧文化を背景として生まれ、異民族間の激しい抗争の中で培われた宗教である。牧畜・遊牧を知らない縄文文化と稲作文化とによってほぼ平和に一万数千年を過ごした日本人にとってキリスト教の異質さは際立っていた。キリスト教的な男性原理を受け入れがたいと感じる心性は、現代の日本人にも連綿と受け継がれているのである。
ユーラシア大陸の諸民族は、悲惨な虐殺を伴う対立・抗争を繰り返してきたが、それはそれぞれの民族が信奉する宗教やイデオロギーの対立・抗争でもあった。その中で、自民族をも強固な宗教などによる一元支配が防衛上も必要になった。キリスト教、イスラム教、儒教などは多少ともそのような背景から生じ、社会がそのような宗教によって律せされることで「文明化」が進んだ。
しかし、日本はその地理的な条件から、異民族との激しい対立・抗争にも巻き込まれず、強固なイデオロギーによって社会を一元的に律する必要もなかった。だから儒教も仏教も、もちろんキリスト教も、社会を支配する強力なイデオロギーにはならなかった。
したがって、日本文化には農耕・牧畜文明以以前の自然崇拝的な心性が、圧殺されずに色濃く残る結果となった。要するにユーラシア大陸に広がった「文明化」から免れた。ヨーロッパで、キリスト教以前のケルト文化などが、ほとんど抹殺されていったのとは、大きな違いである。
アジア・アフリカ・南北アメリカの多くの地域は、多少ともヨーロッパの植民地支配を受け、その地域に深く根ざした言語や文化が時には根絶やしにされ、歪められ、あるいは片隅に追いやられたケースも多い。またヨーロッパでも農耕以前の文明が継承されたケースは少ない。日本の場合は、その地理的な幸運もあって、縄文時代以来の母性原理に根ざした文化や言語が現代にまで多かれ少なかれ継承されている。
そうした幸運から日本列島の人々は、中国文明や西欧文明の 良い面だけをひたすら吸収できたと同時に、自分たちの文化的伝統に合わないものは選ばないという選択の自由があったのである。だからこそキリスト教をはじめとする一神教は選ばれなかった。植民地支配を受けた国(たとえばフィリピン)では、支配者の宗教が現地の人々に与える影響は、植民地支配を受けなかった国に比べはるかに大きいであろう。
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