2017年3月18日土曜日

縄文文化の記憶がキリスト教を拒否する

(1)「漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。」

一万数千年続いた縄文時代は、磨製石器や土器を使用しながら本格的な農業は営まないという、世界史的にもきわめてユニークな時代であった。それだけ自然に恵まれ自然に依存し、自然と一体化した時代の記憶が日本人の心性の根底にあり、その心性こそが砂漠や遊牧を基盤として生まれた一神教を拒絶するのである。

現代日本人の心には、縄文時代以来の自然崇拝的、アニミズム的、多神教的な傾向が、無意識のうちにもかなり色濃く残っており、それがキリスト教など一神教への、無自覚だが根本的な違和感をなしている。
縄文文化は、その後の日本文化の深層としてしっかりと根をおろし、日本人のアニミズム的な宗教感情の基盤となっている。日本人の心に根付く「ソフトアニミズム」は、キリスト教的な人間中心主義とは違い、身近な自然や生物との一体感(愛)を基盤としている。日本にキリスト教が広まらなかったのは、日本人のアニミズム的な心情が聖書の人間中心主義と馴染まなかったからではないのか。

 縄文文化が基層文化として生き残ったのは、日本が大陸から適度に隔たった島国であるということや、その大半を山岳と森に覆われいたという地理的な条件に負うところも大きいだろう。海で隔てられていたからこそ徐々にしか渡来できなかった。また山と森に覆われていたからこそ、縄文人と弥生人の緩やかな住み分けと共生が一定期間可能であったのである。

その後大陸から仏教がもたらされるが、仏教は縄文的な基層文化に合うように変形され、受け入れられていくのである。それは、神道と仏教が、それぞれの要素を取り入れながら並存していくという形としても現れた(本地垂迹説など)。仏教に対しても縄文的な基層文化は根づよく生き残ったのである。

やがて日本にもキリスト教が伝来する。しかしこの宗教は日本列島にはほとんど定着することができなかった。そのひとつの理由は、この時期に日本がキリスト教国による植民地化を免れたからだろう。つまり暴力的な押しつけができなかった。である以上、キリスト教が日本に広まることは不可能であった。キリスト教は、日本の基層文化にとってあまりに異質なために受け入れ難く、また受け入れやすく変形することもキリスト教の厳密な教義からして難しかったのである。

ただし私たちは、縄文的な基層文化が私たちの個々の意識や文化の底流として生き残っていることにほとんど無自覚である。その基層文化が、自分たちに合わないものはフィルターにかけて排除する働きをしていることについても無自覚である。しかし実は、海外から入ってくる「高度な文明」にも強力なフィルターをかけられて取捨選択がなされている。近代文明をこれほど素早く受け入れながら、その根っこにあるキリスト教をみごとにフィルターにかけてしまったというのはその最たる例である。

西洋文明は、キリスト教を背景にして強固な男性原理システムを構築した。それはしばしば暴力的な攻撃性をともなって他文化を支配下に置いた。男性原理的なキリスト教に対して縄文的な基層文化は、土偶の表現に象徴されるようにきわめて母性原理的な特質を持っている。その違いが、日本人にキリスト教への直観的に拒否反応を起こさせたのだともいえよう。

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